メイザスーツビーウィズユー『キングスマン』

夏が過ぎ去ってもう秋が来るのかなと思いきや、何やら一週間近く梅雨っぽい気候になって、何だかなーと思っていたら台風18号の猛威に見舞われ、ボクの住む栃木県でもあちらこちらで被害があった。もう、いつ何があっても不思議じゃないから、少しでも見たいと思った映画くらいはくまなく見ておきたいものです。


キングスマン』感想。

今年はスターウォーズの新作が公開される。それだけで人生に数回しかないであろうビッグイヤーだ。スターウォーズの公開までに何かあったら地球だって許さないと思う輩はボクだけではないだろうから、この映画のサミュエル・L・ジャクソンの言うことは正しい。


スターウォーズの面白さのひとつに「フォース」がある。ボクのようなペーペーの認識ではあるけど、単に物を動かすだけでなく、予知能力の発揮や身体能力の向上、さらにはマインドコントロール的な芸当も出来たりする。劇中では、そのパワーの強大さがジェダイとしての資質になっているのだが、その力を見せびらかしたり私怨のために使うことは暗黒面への便りとなってしまうため、力が強大であればあるほど、それを如何に制御するのかがジェダイマスターへの道になっている。ジェダイとは、上品で高貴な者でなければいけないのだ。


この映画の「格式」にも似た印象を受けた。マナー、メイク、オブ・ザ・マン。殴られた母を見るやすぐに報復へ向かおうとする主人公を止める師はまさにジェダイマスターだし、受け継がれていく攻守両用の傘はさながらライトセーバーだ。また、政界・財界・貴族のトップレベルから支配されていくストーリーも新三部作に酷似している。というか、冒頭からいきなりマーク・ハミルが出てくる。


まぁ、それはそれとして、シンプルに魅力あるのはアクションの匙加減だ。歯が飛ぶのはあくまでピタゴラ的な事故で『ウォンテッド』(2008)のときみたく文字書かれてたりの呆れた表現は当然ない。キングスマンといえど完璧超人ではなく、適度に攻撃を受けるのはジャッキー・チェンみたいで楽しいし、何よりアクションシーンが暴力として華麗な部分と野蛮な部分の両方を持ち合わせているのが魅力だ。登場するさまざまなスパイグッズもキッチリ一度ずつ使用。その丁寧さに並べられた食材と食器に対してマナーを重んじる紳士の上品な食事を見た。キャラクター全員にも個性があり、誰一人として、いわゆる映画的なマシーンとして描かれていない。五体不満足でありながら殺傷能力バツグンの秘書ガゼルも生体認証の失敗におののく一瞬に萌えるのだ。お姫様に憧れたことなんて一度もないがこの王女さまには参った。


と、魅力を書き連ねたらキリのない大傑作でありました。今年はマッドマックスにジュラシックワールドと「最高!」の更新が相次いでおり、12月には007とスターウォーズの新作が控えている。これは何かの出来レースかなと思うところもあるけれど、とりあえず9月にまた更新となりました。キングスマン、最高!

大切なことはすべて盗んで学んだ『ナイトクローラー』

ナイトクローラー』感想。

「開いてたから入った」を言い訳にすることが多い主人公ルイス。彼には自分が悪いことをしている非難されるようなことをしているっていう自覚がありません。え?だって、あのとき社長が言ったんだよ。こそ泥は雇わないって。そう、僕はこそ泥なんだ。こそ泥がこそ泥らしく盗みを働いて何がいけないの?え、パパラッチをして何を盗んでるのかって?違うよ。「パパラッチ」を盗んだのさ。燃えている車を映すカメラを一目見て思ったよ。僕にも出来そうだってね。僕は覚えが早いからさ。−−−−−とでも言いたげな感じです。はじめの腕時計ずっとしてるし。

そう思ったら、雇ってくれないか?っていうあのやり取りがルイスにとってはターニングポイントで、こそ泥は雇わないの一言を聞いたあとの薄ら笑いの裏に吹っ切れてしまうところがあったのかなと思います。

それからはもうあれよあれよと下衆のオンパレード。 姑息で、ずる賢くて、ちょっとマザコンっぽいところにも納得がいって、犯罪現場を自分で演出し始めるなんて想像もしてなかったから本当に驚いたっていうかちょっと感心しちゃいました。どんどんと悪さをするのが上手くなっていって、仕事上のスキルアップに過ぎないといった具合で彼の成長工程が描かれます。

家にいるときは植物に水をやるか昔の番組を垂れ流すかしかしてなくて、あとはパソコンでもっともらしい知恵を身に付けるお勉強。その街に自分がいる意味は街が与えてくれて、自分の言葉に自信を持たせてくれるのはインターネットソース。今、この時代の空気感がうまく表現された映画だなと思いました。かといって、別に現代社会批判だとか闇をえぐったとか、そういう映画ではなくて、いろんな側面はあれど、とにかく彼はこの世に存在しうるのだから。存在を映すのが映画だろう?といったところ。「彼がいるから撮った」。ハイ。面白かったです!

POVホラーの音『死霊高校』

『死霊高校』感想。

ちかごろ続編大作映画で満たされすぎて、なんか小品的なやつ見たいなーって欲求が強くなってたところにこの映画がクリーンヒットでございます。そういえば、今年はまだホラー成分をマトモに摂取していなかったです。見たくないけど見てみたい。驚くのはイヤだけどその先が見たい。そんな想いにかき立てられ、見終えると充足感のある良作ホラーでありました。



縮み上がるチアリーダーにロマンスがありあまる。



この映画でもっとも効果的に使われていたのは「音」です。夜の校舎に忍び込み、イヤ〜な展開がいよいよスタートしてからのファーストコンタクトとして「ロッカーがひとりでに閉まる」出来事が映され、そのことに登場人物は気付かないんですが、これ、どうして気付かないのかというと、「見えていなかった」からではなく、その登場人物が自分で閉めたロッカーの音にかき消されて「聞こえなかった」から気付けないんですよね。いわゆる「志村うしろー!」的な死角ホラーは指をさすことで反応できますが、この消えてしまった音について、登場人物に一体どう説明すればいいのか。この映画は「音」で観客を案内してくれます。

「このために来たんでしょ?」とセットを壊すチアリーダーの姉ちゃんによる音は雰囲気を一変させ、上の階からきこえるけたたましい足音は身を凍らせてくれる。軋む縄の音にいたっては、その事態を見ずとも想起させてくれる。さまざまな場面で音が効果的に用いられ、いざ姿を現すとなれば、影からぬぅーっと忍び寄ったり、いつの間にか首元に縄が垂れ下がっていたり、“音もなく”画面に現れる。音を出す/出さないのリズムで見事にコントロールされてしまいます。

それほどまでに音が力を発揮したのには、POV映画の持つ特徴も一役買っています。POV映画は常に「前方」を映しているから「死角」がある。そこへ、幽霊的な「脅威」が加わることにより「いま映っている画面以外に何かがいるんじゃないか」という意識が醸成される。その状態にあるとき効果的に「音」を用いられると、見る者の心のチャンネルが切り替わり、映像への興味・関心をかき立てられる。何をいまさらという感じですが、本当にこの映画はそれが上手くて、あらためてPOVホラーは楽しいなぁと思いました。

ラストも素晴らしい。このテのホラー映画は最後の最後に真相が!的な構成になるものが多いですが、黒幕が明かされ、この映画の「筋書き」が立ち現れるフィナーレは実に鮮やかでした。「死角と音」というPOVホラーにおける「舞台装置」がふんだんに用いられ、また、この映画自体がひとつの舞台劇であったという一本筋がラストに通る。最高。非常に良くつくりこまれた映画でありました。面白かったです!

夏はもうたくさんで映画いくつか


『唐山大地震
大災害により離れ離れになったある一家の大河ドラマ。ボクはエヴァ世代なので日本人の信条は察しと思いやりって言葉が頭にこびりついているんだけど、それは何も日本人の特権じゃなくて人間にかくあるべきだよなぁと思った。地震のシーンとか本当に恐ろしくて、どうにもできず泣き叫ぶ場面とか凍りつく想いにさせられるんだけど、芯の部分でグッと強さを見せてくれる。素晴らしかったです。



『激戦 ハート・オブ・ファイト』
総合格闘技の描写をよりホンモノに近い形でアクションとして見せてもらえた。グラウンド時の蹴りとか後頭部への打撃とか、あと2ラウンド耐えれば勝利ってルールはどうなんだってのはあったけど、おもしろトレーニング機材が満載なのと雨漏り修理をトレーニングのリズムで見せてくれたりもして楽しかった。全体的に雰囲気が爽やかなのもイイ。後半へ進むにつれて弟子と父親のエピソードがちょっと不足していく気もしたけど、師匠パートの娘シウタンが強烈な魅力を放っていたので文句なし。総合格闘技映画、もっと作ってほしいです。



『オオカミは嘘をつく』
イスラエル映画。少女の惨殺死体が発見され、容疑者と思わしき人物へ警察は荒っぽい尋問を行う。が、その様子の盗撮動画がYouTubeにアップされ、警察への批判が殺到する。事を収めるには容疑者に罪を告白させ、警察の「正しさ」をアピールするしかない。形だけの停職処分を受けた1人の男が容疑者をさらいに向かう。時を同じくして、惨殺された少女の父親もまた容疑者の誘拐を企むのだった。

これは面白かったです!余計なフラッシュバックとか無くて、気持ち良く楽しませてもらえました。途中、こいつはやっぱりシロ?こっちがクロ?などと惑わせてもらえて見応えありました。ストーリーについては、なんなんだこの親子(笑)ってならざるを得ない。少女の惨殺死体だからロングショットだったんだろうけど、それがなかなかキマっていたし、車と自転車の事故を予感させる走行シーンなど、画的にもたいへん楽しゅうございました。あーあ……って感じに終わる映画はたまに見るとイイもんですね。

恐竜エキスポ2015『ジュラシック・ワールド』

ジュラシック・ワールド』感想その2

「今の子どもたちにとって恐竜は他の動物と一緒。テーマパークを成長させるには新しい恐竜を生み出さないといけない」。この言葉がストーリーの始まりだ。科学的にも倫理的にもたぶんきっとおそらく実現不可能な「パーク」のある世界が舞台で、それを見せてもらえるってのがまずこの映画の最大の魅力。映画ってのはいつだって立入禁止な領域に招いてくれる避難場所だ。


で、そのテーマパーク描写は「スフィア」だけが子どものこだわりのように凝っていて、他は結構フリーダムで何でもいい感じ。こんな構造でこんなシステムになってますよー入口はこうで手続きはのんなんですよーっていう描写より「やる気のない店員さん」を映すことのほうが優先的にある。これ、行楽したあとの子どもの感想だよなぁと思った。楽しい!って騒いでた子どもにどれが一番良かった?ってきくと「〇〇のおじさーん」なんて素っ頓狂な答えが返ってくることあるでしょう。え、あんだけ騒いだのにキミの1日の総括それ?みたいな。子どもって平均的にはきっとそんな感じなんですよね。てか、そもそも来場者2万人って少なくない?平日のディズニーランドぐらいでしょう?島のキャパがあるのかわからんけども。まぁ、とにかくこの映画は「まるで子どもがつくったように大人が計算してつくったもの」だと思います。


これで野に出ちゃ危ない。5回に1回は死ぬ!


子どもにとって「勝利」へ導く絶対的なヒーローはあらかじめ決まっているから、その勝利ありき見せ場ありきで物語を展開していくことになる。で、肝になるのはその道のりというところにあるので、アクションシーンはラストの大立ち回りまで「タメ」の連続です。インドミナス・レックスへ向かう部隊に実弾装備をさせなかったり、ヘリコプターで突入する出たがりCEOは被害を拡大させるだけだったり、兵器として出撃したラプトルは会敵するなり寝返ってしまったり、さまざまな「抑制」のきいたバトルが繰り出されていきます。このタメが効いて、最後のがっぷり四つが活きるんですよねぇ。


展開はそうとしてキャラクター描写はどうかというと、クレアの胸に無邪気に飛び込んでいく弟くんは歯の数とか遺伝子配列とか恐竜に生き物として凄く興味のある感じ。そういやあのハグだけどぜったいブライス・ダラス・ハワードのバストへいい具合にフィットしてましたよね。「ワォ!」みたいな反応してたけど本当にびっくりしてアドリブ入ってんじゃないか?どうなんだ今のハグは?と。話がそれました。恐竜好きの弟に対してお兄さんはたぶん地元でイケてる系の子と付き合ってるけど都会へ出てみたら「あれまぁ…」みたいな。恐竜と女の子。それぞれ自分とは違う生き物に目と心を奪われるフツーの子どもとしてフツーに描かれてますね。子どもは「自分たち」のことはフツーに描いて、自分以外の存在へと力を注ぐもんだと思うんです。で、それが大人キャラクターに出ていて、ラプトルとオーウェンのあいだにあるのは、恐竜と人間は心を通わせることができるかもしれないという尊厳への展望で、ハイヒールを脱がないクレアにはアメリカで「キャリアウーマン」やるには根性いるのよ!といった女性像が投射されている。子どもから見て、自然の中を生きるかっこいいお兄さんと意外とアウトドアでかっこいいお姉さんが主役に置かれている。どうでもいいキャラクターの秘書さんがあまりに悲惨なことになる残虐性も実に子どもっぽい。


と、いうわけで、ジュラシックパーク最新作は大人による子ども目線の展開と描写が最高な大傑作サマームービーでした。今3回でもう2回くらいは見たいのでまだまだ上映回数が生き残ることを願います。マッドマックスを超えて2015年暫定ナンバーワンです。おわり

世界一受けたい指令『ミッション:インポッシブル/ローグ・ネイション』

ミッション:インポッシブル/ローグ・ネイション』感想。

マッドマックスから始まったらしい「続編映画最新作は超傑作!」の流れが、起動というか奇動してたターミネーター最新作でちょっと足踏みするまで続いておりますが、しかしまぁ20年30年と年季の入っているシリーズがこうも元気が良いとは。マッドマックスにもジュラシックパークにもミッションインポッシブルにも特別思い入れがあったわけではないけれど「とりあえず見る」を続けていたわけで、何かここにきてイキナリ「最高!」とか言うのも申し訳ない気がしないでもないんですけど、そう思っちゃったもんは仕方がない。

一見コメディリリーフに見えるベンジーが実はいちばんイーサン・ハントへの想いが強くて、今回もっとも危険な表舞台に立たされるのが彼というのがまず楽しい。ブラントは含み笑いのシーンが最高で長官の許可は1度もあげないでおいてほしいなと思わせてくれるし、ルーサーの言葉はスッキリさせてくれるから見ていて安心感がある。知力・体力・時の運すべてを兼ね備えたイーサン・ハントはもう心停止からいつ回復するのかと見てるだけで楽しい超人になっている。このうち誰1人として欠けてほしくないと心底思うから、ストーリー展開にハラハラドキドキして楽しめるんですよね。ボタンを押すだけで開くところまでベンジーにやってもらってハントのオープンザドア!に反応してポチッとやってみたい。

敵か味方か果たして的な存在であるイルサは、峰不二子であり007シリーズにおけるボンドガールな感じ。シリーズ初登板で周囲に溶け込むどころかイーサン・ハントとのコンビネーションアクションをこなしていて素晴らしい。「会うの初めてだよね?」の一言は突然スクリーンから飛び出してくるセリフで、ああいうことをしれーっと出来ちゃうのがトム・クルーズのこのシリーズの魅力だ。しかし、今回5作目にして長年スパイやってると陥るアイデンティティークライシスみたいなことが描かれていたけど、イーサン・ハントはそのへんどう捉えているんだろう。自身にクソ真面目に向き合う007を「影」だとすれば、自分なんか置いといて仲間を救う!目の前の危機を回避する!に集中するM:Iシリーズは「陽」なのか。より一層キャラクターと世界観が味わい深くなったけれど、その批評性にとらわれることないバランス感覚がトム・クルーズトム・クルーズたるところなのかもしれない。彼の運転で道なき道をドライブしたい。

子どもの頃、ジャッキーとかシュワちゃんとか物凄い奴らを日曜洋画劇場とかで見終えると、何だか自分も強くなったような高揚感を味わったものだけれど、同じ感覚を映画館で久しぶりに味わわせてもらえました。淀川長治のHulu手法でもイイのでトム・クルーズには永遠にこのシリーズに出演してもらいたい。劇場の入場特典はポストカードではなく、かけるとイーサン・ハントからキミにはこれからある映画を見てもらうと任務を与えられるメガネにするべきだった。最高に楽しい映画をありがとう。

ロマンに満ち溢れた大傑作!『ジュラシック・ワールド』

ジュラシック・ワールド』感想。

最高。最高の映画だった。今年はもう大方マッドマックスで決まりだろうなースターウォーズスターウォーズだからスターウォーズだしなーと思ってて、特大ヒットしてんだから無難に面白いでしょうよくらいの気持ちでふんぞり返って鑑賞したんですが、ハイ、たまげました。完全に吹っ飛ばされました。2015年は頭がオカシイ!

恐竜大好き少年グレイと彼の兄でお年頃な青年ザックの子供チーム。社会に揉まれてそれぞれの道を歩んでいる男女オーウェン&クレアの大人チーム。ストーリーは、この2チームの行動により展開されております。

開いているフェンスにまだ見ぬファンタジーを見てしまった子供組は、その後とんでもない目に遭うが、こちらを見るラプトルに小さく首を振り一緒には行けないよと意思表示した大人組は、その後に平穏を取り戻す。「たまには負けることも必要だ」。人は前へ進むだけでは自分の居場所を見失う。どこかのタイミングで歩みを止め、その軌跡を見つめ直す必要がある。未知との遭遇を止められなくなるインドミナス・レックスのように止まることができなくなってしまうのは危険なことなのだ。

今回の大ボスとなるインドミナス・レックスの一挙手一投足や擬態・体温操作の能力などは、劇中の人間たちと呼応していると思う。まず、マスラニ。ヘリを操縦する彼は快楽主義的な人物かと思いきや「2600万ドルも投資したんだ!」と叫ぶが、おそらく自分の勘以外のものを根っこの部分では信用しない人間で、他の人間に任せられないから自分で操縦に赴くのだと思う。次に、ホスキンス。ラプトルを兵器として利用する実利主義を掲げながら、狼との過去を真剣な眼差しで話し、空を舞う翼竜を眺め煌々とした微笑みを浮かべる。ホスキンスは本来オーウェンのような人間だったのだ。どこかでその歩みが変わってしまった。大人は、大人になるにつれて自分に嘘をつき、擬態する術を身につける。そんな人々がひしめき合っているのが世の中だ。ことほどさように世界とは、どれほど見渡しても見通しのきかないものなのだ。

映画『ジュラシック・ワールド』は、シリーズの持つ「6500万年前の世界の再現」にある温故知新の精神を見事に人間ドラマへと昇華し、次なるステージを予感させてくれる大傑作だった。見ていて本当に心が躍りました。世界は、映画は、まだまだ驚きとロマンに満ちている。最高!