そりゃ長澤まさみのおっぱいは触りたいけども麻生久美子に文句言うなバーロー『モテキ』

大根仁監督作品。『電車男』にそれらしい映像を盛っただけっていう印象。カラオケのメドレーっぽい映像の連続はバリアフリーと親しみやすさのギリギリ合間ってカンジでいいなって思います。もし、この映画に「いいねボタン」があったらば多分1回くらいは押しているでしょう。ただ、それだけかなっていう感想になりました。

ボクはドラマを8話まで見て飽きてやめちゃったんですけど、映画は2時間だからいいですね。サクッと見れる。ボクが映画っていいなって思うのは単に時間を使わないからなんですよねぇ。あとはCMがないとか。4時間超えの映画とかはもう体験としてシビれます。達成感ある。それじゃあ、この『モテキ』はどうだったかっていうと、達成感ないことはなかったけど飛び抜けたものは無かったなぁ、というカンジ。笑ったのは引用の指摘への免罪符として『ソーシャル・ネットワーク』『ボーイズ・オン・ザ・ラン』といった作品群がセリフとしてそのまま出てくること。オフィシャルサイトには「モテキペディア」と銘打たれた防衛線がたくさん張られていて、なんか必死です。

モテキ』の冒頭は、リリー・フランキー「いやぁ、映画の『ソーシャルネットワーク』。アレ見た?オレもあんなことやってみたくてねえ」というセリフで始まる。これ、大根監督の本音なんでしょうかね?わからないですけど、とにかく、『ソーシャル・ネットワーク』って、前代未聞のトップニュースを演技で表現して、さらに物語をあくまで親しみやすく創作したことが面白かったんですよね。夢がある。ジェシー・アイゼンバーグ演じるマーク・ザッカーバーグがカリスマ性を帯びることは現実のザッカーバーグがそうなんだからポカしない限りある程度決まっていたわけで、デヴィッド・フィンチャーだからそつなく仕上げた。それもモルモットを観察するような冷静な視点で。ゆえに素晴らしい作品だと思うし、さらに、「フェイスブック革命」と呼ばれる出来事が起きた今となっては、映画のザッカーバーグの寂寥なラストにスクリーンに取り残された孤独すらも感じて、その姿には映画に何も知らずにサクッとした達成感のみを求めている自分が重なったりもしてやっぱり好きだなぁ、と思うんですな。

モテキ』がボクにはいまいちなのって、『ワンピース』の「ひとつなぎの大秘宝」が何であるかってことに全然期待できないのと、そもそも読者はそんなことに興味ないコトへの疑問に似ている気がする。目的や意志が見えてこない長ったらしいキャラ萌え冒険・・・。というのも、主人公の幸世の「好みの女性像」ってのが全然わかんないんですよ。かといってセカンド童貞を卒業するってのがただのヤリたい願望でもないようだしで、一体なんなんだチミはと思っていたら、結局、趣味が合う/合わないっていうだけで決断しちゃうんで「はて・・・?」ってねぇ。幸世には共感もできなければ理解もできない。だから、ザッカーバーグのようなカリスマ性なんて当然備わっちゃいないんですねぇ・・・。あと、モテキモテキ言ってるけど、この話じゃあ只の三角関係だよね。夢がない。とにかく、幸世の境遇は普通くらいにはうらやましいけど、幸世自身には絶対になりたくないな、ということを思いました。おっぱい!