「マイケル・ジャクソン THIS IS IT」

劔岳』を観たとき、作風もあってかやっぱり年配の方が多くいらっしゃってたんだけど、席に着こうと階段へ歩みを進めると、先に階段を上っていたお婆ちゃんがどうやら指定座席に慣れていない御様子で、席のアルファベットと半券の番号を照らし合わせながらゆ〜っくりとのぼっていたもんだから、つい「山登りの前に階段がのぼれねぇいよぅ!」なんてことを考えてしまって、今となっては映画本編の内容よりその珍事のほうが記憶に残ってしまっている。

音楽に造詣がないぼくにとってマイケル・ジャクソンとは、何か越えてはならないものを越えてしまった存在で、皆を熱狂させるスーパースターというよりもマスコミを躍らせる奇人変人という印象のほうが強かった。そのため6月の訃報に接したときは不謹慎ながら妙な「安堵感」さえ感じてしまい、同時に彼がいかに愛されていた存在なのかも知ることになった。

劇場に入ると地元のシネコンで一番座席数が多いシアターが平日にしては珍しくほぼ満席。さらに驚いたのはその客層の幅広さ。まだランドセルを背負って間もないような少年から、今年の劇場鑑賞は『劔岳』と本作でございと言わんばかりのご老体まで。ここまで老若男女がまんべんなく着席している光景はちょっと見たことがない。これもマイケル・ジャクソンの影響力なのかとただただ圧倒されてしまった。上映が始まってから、彼のパフォーマンスに再度圧倒されたのは言わずもがな。

一流のスーパースターと呼ばれているアーティストならば、ファンのために尽くしたり自分のステージにこだわるのは当たり前なんだろうけど、特に彼はその取り組み方が印象的だった。二言目には「LOVE」を口にし、誰かとの会話には「God bless you」を忘れない。愛すべき存在であるのもわかるし、そうでない人がいるのも何となくわかる。何にせよぼくの隣に座っていたお婆ちゃんがマイケルの歌声に合わせて音を立てないよう手拍子をしたり、リズムに乗って体を揺らしたりして、微笑ましいったらありゃしない。これもいい思い出だ。しかし、スクリーンに映し出される彼の姿を観てしまったら、ファンでないぼくでさえこの上ない喪失感を味わうことになってしまう。

エンドロール後にもまるで別れを惜しむかのように続くメッセージ。もちろんこれが彼の全てではないけれど根底にある何かが垣間見えるかもしれない。(★★★☆)