みんな〜殺ってるか!『バトル・ロワイアル 3D』

あれからもう10年経ったのか・・・と思い起こせばあんなコトこんなコトあ〜った〜でしょ〜。というわけで何故か3Dになってスクリーンによみがえった『バトル・ロワイアル』見てきました。

この映画を残虐だ何だの言って非難するひとたちは、現実世界にある「残虐なこと」からも目を背けているんでしょうか。ついに始まってしまった隣国での戦争にも「悪影響だから」といってソッポを向くのでしょうか。自分が理解できないことや納得できないこと、世の中にある理不尽としか思えないようなことにまず目を向けてみて、それが何故残虐なのか?何故悪影響なのか?を考えるのが価値のある大人というもんじゃないでしょうか。その機会を与える役目を「映画」は担っています。確実に。

大人たちが子供を恐れたためにしかれたBR法ですが、そもそも大人と子供の境界線とは何なのか?ドロップアウト組のぼくが言っても蚊の屁みたいなもんですが、大人なんて単に歳を重ねて免れようのない「責任」で自由がきかなくなった「子供」です。映画の世界で「なめられた」という理由でしかれたBR法とは、責任を追及された大人たちによる暴挙以外の何物でもない。要は圧政しようって言うんです。ここに怒りを覚えるひとがいるのはわかりますが、これと同じような状況って現実世界にあるでしょう。絶対に。

そんな世界観で描かれる映画のテーマは、まず、教師キタノが言う「人を嫌いになるにはそれなりの覚悟がいる」という台詞。ゲーム開始から間髪入れずに少年少女たちの裏切り裏切られの姿が描かれ、見ているこちらはすでにゲーム感覚になって、あとはもう結末を見届けるだけという麻痺状態できくと迫るものがあります。そして、すべてはラストにある「走れ」。この雑な言葉に集約されています。この言葉に背中を押されたような気持ちになるのが映画として素晴らしいんです。

バトル・ロワイアル』とは昨日今日までの友達を殺さなければいけない、という責任逃れをした大人たちへの警告。そして、その大人による子供への心の底からの最期のエールだ。ぼくはそう思う。あー、でもやっぱりエンディングは『静かなる日々の階段を』がききたかったなー。(★★★★★)