神ナプキン『バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』

バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』感想。

アカデミー賞受賞作品。とても楽しみました!ひょっとしたら今んところのベストかなー。いずれにせよ上半期トップクラスに気に入る映画になったことは間違いありません。以下、面白がったポイントを羅列して、自分のこの映画の感想を整理してみようと思います。


【擬似ワンカットについて】
面白かったです!ダイナミックさが刺激的でした。現実と虚構が入り交じった世界がノンストップで進んでいき、そのなかに所狭しと登場人物たちの表情と言葉が飛び交う。物語の小さな花火が飛散していくようで、とても楽しい時間を過ごせましたね。時間といえば、一回だけ夜から朝の経過がベタな描写でやられてましたが、あれも幕間のひとときといった調子で好きでした。正確にはオープニングの燃えながら落下する物体と中盤の打ち上げられたクラゲのシーンがあるので、たぶん3カットくらいの映画ではありますが。


【主人公について】
擬似ワンカットなので、一人の視点に寄り添うかと思ってましたが、全然違いましたね。登場人物のほとんどの視点に瞬時に入れ替わります。そしてその全員が叶わぬ夢やいつの間にか形を変えてしまった夢、理想と現実のなかで葛藤して見応えがあります。「芸術家になれない者が批評家になる。ちょうど兵士が密告者になるように」。この一言が刺さったのか、ブロードウェイのベテラン批評家が観劇しているところは痛快でした。とはいえ、注目は主人公リーガン(マイケル・キートン)です。昔はヒーロー映画の主演スターで今は崖っぷちの舞台役者。そうきくと、スターから舞台役者に〈堕ちたとき〉に理想と現実の乖離が生まれたように感じますが、『バードマン4』の撮影を断ったこと、役者を志したのはレイモンド・カーヴァーの一言がきっかけだということ、この2点から、リーガンは、バードマンをやっていた頃から「本当にやりたいことはコレじゃない」との想いを抱えていたとわかります。過去の栄光にすがるわけでもSNSの現在についていくわけでもない男、それがリーガンです。終盤に発せられる「オレは存在しない」のセリフは、彼の真の姿を彼自身が言い放った=物語を経て受け入れたということなんですね。


【物語について】
つまるところ、ボクはこの物語を「一人の男が自分の身の程を知るもの」と思いました。「お前はバードマンだ」の声を悪魔のささやきのごとく拒絶しつつ、「役者魂」を熱っぽく語るマイク(エドワード・ノートン)の言葉にはたやすく感化される。これが、物語が進むにつれて逆転していくんですね。病室での清らかなリーガンの表情を見て、ボクの頭に浮かんだシナリオはこうです。<とりあえずの成功を収めたから役者の夢を叶えようと勝負したけど、ダメだった。でも、やるだけやってよかった。レイモンド・カーヴァーの演劇とこのクソったれな人生がクロスするなんて、縁がなかったわけじゃないんだな。ようやくわかったよ。オレがオレらしくいられるのは“バードマンとして”なんだ。>


【ラストについて】
人はいつ死ぬのか?の常套句として「忘れられるとき」というのがあります。それと、人の死について語るとき「心の中であなたは生きています」というのもあります。どうして人は忘れられるのか?それは自分以外の誰かに何も出来なかったからです。もしくは忘れたいような存在だったからです。どうして人は心の中で生きられるのか?それは自分ではない他の誰かに何かをもたらしたからです。忘れられない何かを残したからです。ゆえに、この映画で起きる奇跡は「娘サムの笑顔」で表現されています。自分を受け入れ、バードマンとして空を舞う父を誇らしげに見上げる娘。彼女の笑顔こそ、リーガンという一人の男・父親・人間・役者が起こした奇跡です。リメイク作品やビッグバジェットのアメコミ映画などは、過去を繰り返し上書きし続ける一過性のものでしかないかもしれません。しかし、その一過性のもの(バードマンのようなもの)が、一生もんの永遠をもたらすことがあるのだということです。カクテルナプキン一枚で人生を変えた男の物語があるように。ハイ。感動!というか、アッパレ!と気持ち良く思える映画でしたね。あーー早くアベンジャーズ見たいなぁ。