「K-1 WORLD MAX」

HIROYAの試合。あんな弱い25歳どこから探してくるんだ。KIDの試合。昔は身長を感じさせない圧力みたいなのがあったけど、今回初めてKIDが小さく見えた。山本篤の試合。非常にどうでもよい。ダウン後のタックルが痛々しい。山本優弥の試合。実況・解説がただの応援になっている。がんばれー。サワーvsキシェンコ。やっと普通の試合がきた。ただ実力が拮抗しすぎていてインパクトは薄い。ペトロシアンvsクラウス。もっと見たかった。ハイライトKID。やっぱり小さく見える。まぁ、総じて考えても格闘技をTBSで観るのは超超超超つまらんですね。

で、川尻vs魔裟斗。試合の感想を書く前に、この試合が実現するまでの気持ちの変遷を書き留めておこう。まず、事の発端は昨年の冬。いつものように対戦カード発表にやきもきしていた頃に、2008年の大晦日はどうやら「K−1対DREAM」という図式で試合が組まれるらしい、との情報が出回った。それを知ったときに頭をよぎった思いは、ただただ「なぜ???」であった。僕にはそこに勝負論がまったく見えてこず、視聴率最優先のくだらない計画にしか思えなかったからだ。ただ「大晦日だからいっか」という魔力はやっぱりあって、会場に向かうときにはそれなりに楽しみにはしていた。そしてあの3試合だ。川尻の勝利に驚き、ムサシの勝利に笑い、アリスターの勝利にどよめいた。終わってみればあの3試合の大会だったなぁ。

それからというもの、K−1のリングに総合ファイターが立つ、という風潮が当たり前のように生まれ、続々とカードが決まっていく。3月のボンヤスキーvsアリスターと今日の2試合だ。けれどなんだかなぁというのが正直な思いで、昔のK−1対PRIDEがあんなに面白かったのは、それがまさに夢のカードだったからであって、「夢のカード」などと想像を膨らませる求心力が両団体にあったからだよなぁとさみしい気持ちにさせられてしまった。いくら選手たちが団体の威信をかけた舌戦を繰り広げようとも、あの頃と今はあまりに状況・形勢が違う。TVに蝕まれて一人では何もできなくなってしまったK−1が、DREAMファンに肖ろうという魂胆が見え見えなのだ。試合を見ているときは確かに熱くなれる。けれどその熱は冷めるのが早くて早くて、、、。観戦後にはその先に何も見えてこない自転車操業だとさえ思わされてしまった。

魔裟斗vs川尻というカードがその先に何かを生み出すとしたら、「川尻の勝利」という結末以外にはありえなかった。川尻のことは決して好きじゃないけど、どうにか一泡吹かせてくれ!と期待感を抱き、何日も前からTBS観戦という劣悪な環境にも関わらずワクワクしていた。今思えばそれは拭えない不安から目を逸らす行為だったのかもしれない。そして、決戦のゴング。試合開始。開始直後から川尻の動きに妙な違和感が付きまとう。いつもよりすげぇ鈍く見える。元々、パンチスピードがあるほうではないけど、立ち技主体になるとこうまで露呈するのかと驚いた。そしてダウン。川尻が放つ当たる気配のない変則的なパンチをあざ笑うかのように魔裟斗の右ストレートがクリーンヒット。それからは防戦一方の川尻。1Rの終盤にはタックルまで出す始末。どこのリングだったかを忘れるほど打ち砕かれてしまったのか。なんとか2Rへ。しかし、付け入る隙のない魔裟斗のラッシュに耐えられず、タオル投入。TKO負け。む、無念だ。無念すぎる。

結果、一体なにが起こったのか?一体なにを見せたかったのか?まったくわからない。こんな大会を見て何をどう思えばいいんだ?と、茫然自失としていると、魔裟斗勝利に沸き立つジャニヲタ同然の観客たちの姿が目に飛び込む。「なにをいまさらなんだよ!」とも思うけど、あぁ川尻がぶち壊してくれたのはK−1への幻想だったのか。僕が格闘技に求める感動はあのリングにはないのか。と、TVの前で縮こまってしまった。これこそ無念、だ。