「私の中のあなた」

試写会にて。『きみ読む』が大嫌いなぼくには絶対合わない作品だと思っていたんだけど、アビゲイル・ブレスリン目当てで行ってきました。観てみるとまぁやっぱりこういう感傷的な映画は嫌なもんだなぁ、と。惜しいのは「アナの存在意義」をもっと深く描き、倫理観に訴えるような作品であれば、何か得るものがあった気がするところ。

注目のアビゲイル・ブレスリンは冒頭の表情が良かった。一目で心境がわかるイイ顔をしていて、光とかモノローグとかお涙頂戴な雰囲気が丸出しだったけれど、彼女の成長を垣間見ることはできた。弁護士の真似をする場面もキュート。もう一人注目したというか注目せざるを得ないのがキャメロン・ディアス。スキンヘッドにしてまで熱演した、と言いたいところが、感情移入するのが非常に難しい母親サラを演じていて、ペンを差し出す慌てぶりが一番光ってしまっていた。渦中の人であるはずの彼女に共感できないので「家族の絆」に集約したとは思えず、その手の映画と割り切っていても満足いく作品には見えなかった。

方向性は似通っていても、この映画が邦画界で製作され続ける「難病もの」と一線を画すには、やっぱりサラの葛藤を描くべきだったと思う。アナが11歳にもなってから直面する問題ではないでしょう。自分にも妹がいるのだから何か思うところがあるはず。そういった部分はキャメロン・ディアスというキャスティングに免じて受け入れるべきなのかもしれないけれど、倫理的に考えて一心不乱にケイトを想うサラの姿には首を傾げざるを得なかった。

もちろん映画とはぼくのような趣味を持つ者だけの娯楽ではないので、存在自体を否定することはできない。けれど、ヒットさせるためだけに量産するのも如何なものかと。こういう描き方を「娯楽」と呼ぶのは危険な感情なんじゃないか?と思わされた。アメリカでは本作の原作ファンによる映画ボイコット運動(※間違い。宗教関係のあれでした。)がでたそうで、原作は観客に委ねる問題提起のようになってるみたいだ。その辺りには日本とアメリカの映画文化に対する寒暖差を感じてしまう。

そんなどうしようもないことを考えさせられ、やっぱり「死」とは理解できないものなのだと下を向いて帰りました。(★★)