DVD「ドゥームズデイ」

今日という日こそ夕方から深夜まで粛々とバイトをこなし、帰宅後は部屋にこもって黙々とFFをプレイし始めたぼくではありますが、実は人間関係はまずまず良好で、「友達」と呼べる存在が割と多いほうだと思ってます。ただ、よくつるむ奴らには言っても信じてもらえないけど、ぼくはかなり人見知りをするので、場合によっては慇懃無礼だと思われることがあるかもしれない。けれど、ひとたび打ち解けてしまえば持ち前の人当たりの良さを発揮し、すぐさま「友達」と呼べる存在に成り得ると思う。これは自慢でもなんでもなく、いままでのぼくの経験談だ。容姿や趣味に対する偏見じみたものを捨ててしまえばその程度の関係ならすぐに築くことができるのだ。

が、しかし、だ。この『ドゥームズデイ』を観て、そんな関係など所詮は曖昧模糊な「絆」とやらでしかつながっていない不安定でチンケなものなのだ、ということを思い出させられた。これはちょうど9年前の今ごろ『バトル・ロワイアル』を観たときに覚えた感覚と同じもので、まぁこれは決して映画的な描写が似たり寄ったりしているからではなく、ぼくの単なる飛躍した妄想なんだけども。たかだか20数年とはいえ、ぼくが生きてきた人生において「審判の日」という言葉を一番予感したのは、何を隠そう『バトル・ロワイアル』を観た直後の中学卒業前なのだ(調べたら公開日が誕生日じゃないか!なんてこった!)。

あのとき空前絶後のブームを巻き起こしていた『BR』。直撃世代であるぼくのクラスでももちろん大流行していて、暇さえあれば誰を狙い、誰を守り、誰を信じることができるか、といった具合の話に華を咲かせ、ぼくといえば「全力で優勝を目指す!」と公言していたものだ。冗談まじりとはいえ目の前にいる者たちの「命の選択」をしていたわけだ。ぼくはこの状況に脳みそが煮えくり返るような興奮を覚えたのだった。取り巻く環境が個人ではどうすることもできない未知の地帯なら、そこに「友達」という信頼関係が入り込む余地などありはしないのだ。

それから約10年間、ぼくはちっとも変わっちゃいないんだなってことを本作で確認しました。億が一にでもBR法が可決されたり、本作のような「微生物の活動」が起きようものなら、本能の赴くまま身を投じ、必要ならば「友達を喰う」ことさえいとわないかもしれない。そして、今日みたいな日に道行く人を八つ裂きにできるなら、幸せそうなあいつをミディアムレアにできるなら、それ以上の快感はない。絶対に最高の気分を味わえるはず、そう思い出させてくれた大娯楽作でありました。心残りはやっぱり自宅鑑賞だったこと。地球がブチ壊れる映画が毎年全国公開されるのだから、人間がなぶり殺しにされる映画ももっと大々的に公開すべきだ。

どうやら今日ぼくのもとへやってきたのはサンタではなく「サタン」だったようです。メリークリスマス!ファックユー!(★★★★☆)