悪魔は悪魔だ「Dr.パルナサスの鏡」

まず、ああそうだったの!と思ったのはタイトルにもなってる「パルナサス博士」がヒース・レジャーじゃなかったのか!ってこと。やっぱり「テリー・ギリアムの新作」というよりはどうしても「ヒース・レジャーの遺作」ってイメージがあったから、てっきりぼくはそう思い込んでおりました。実際にパルナサス博士を演じていたのはクリストファー・プラマーっていうじいさんで、映画のあらすじはというと、想像世界「イマジナリウム」への入り口である鏡を売りに移動劇場を営んでいるパルナサス博士ら旅芸人たち。ある日、彼らのもとへヒース・レジャー演じる慈善家のトニーが転がり込む、というものでした。

さらにその想像世界のなかで繰り広げられるギリアム監督の奇想天外な映像世界、というのがこの作品の売りだとも思ってたんだけど、はじめのうちは鏡にはちょこっとしか入らないし、ヒース・レジャーはなかなかでてこないし、なんか『BOY A』の主役の淡い恋物語がはじまってるしで、なんだこれ?予想とちょっと違う?とモヤモヤしかけたんですけど、パルナサス博士の昔話がはじまるとやっと映画の道筋が見えてきます。そこの会話でパルナサス博士=ギリアム監督だということを匂わせ、段々と予想とは違った映画に。これは面白かったです。

「入った者の理想の形」になる鏡の中の世界。これはギリアム監督の理想の「映画」なんだと思う。観る者が望む世界へと誘う、ということは映画監督、特にSFやファンタジーを得意とするギリアム監督にとっては「物語を紡ぐ」目的にもなっているんじゃないかと。今でこそ「巨匠」と言われれば納得される地位にいるけれど、はっきり言ってゼロ年代のギリアム監督作品はパッとしない。もしかしたら、自分が映画づくりをやめてもギレルモ・デル・トロピーター・ジャクソンなどの若くて才能ある監督が自分が観せたいような作品を撮るんじゃないか、ここはひとつジョニー・デップジュード・ロウコリン・ファレルなどの甘いマスクにあやかって、気楽に映画を撮ってみようかなあ、なんてことを思ったのかもしれない。とかなんとか色々と想像してしまいましたね。

それはさておき驚いたことがあります。不謹慎な書き方になるけど、この映画、ヒース・レジャーの死がまるでなかったことのように違和感なく進んでいくんです。のっけからデカパイ少女の憧れがコリン・ファレルになっていて「ん?」と思ったんですけど「顔が変わる」4人1役という設定が気持ち悪いくらいすんなり組み込まれているんですよ。役者とはもしかしたら「ハングドマン」みたいなもので、人の死をも乗り越えてしまう「映画」とはきっと「悪魔」みたいなもんなんですよ…。おーこわ…。

そんな悪魔との賭けをつづけるギリアム監督。いつの日か世界の度肝を抜く「勝利」を。あ、ほら、またベルが鳴りましたよ。(★★★)