見渡すかぎり恐怖「パラノーマル・アクティビティ」

あらすじを知らずに観たらビックリ、まさかあのことを思い出すとは…。中学2年のちょうど今ごろ、ぼくはとんでもない体験をした。普段は熟睡すぎるくらい熟睡してしまうのだけど、その日だけはふと目が覚めてしまい、向かいの壁に掛けてある深夜2時を差す時計を見て「ウソ!?丸1日寝た!?」と一瞬ドキッとしたことがあった。すぐに寝てからまだ2時間しか経っていないと気付き、安堵の息と共に再び眠りにつこうとおもむろに体を右向きにして寝る態勢に入った。しかしその瞬間、目を閉じようとしたのに何故か瞼が動かない。「あれ?」と声を出そうとしたのに声も出ない。なんだこれなんだこれなんだこれ、と頭の中を疑問が駆け巡る。瞼や口を確かめようと眼だけは動いたが、どうにもならない。さらに頭に持ってこようとした腕も動かず、脚や首も同じように言うことを聞かない。全身がまるで息んでるようにガチガチになってしまったのだ。それでやっと疑問符なしの言葉が浮かぶ。
「…これが金縛りか」。

生まれて初めての不自由さに戸惑いつつも、じっとしていれば(?)そのうち治るんだろう…と落ち着きを取り戻したぼくはまず動悸の激しさを鎮めようと、唯一動かせる眼を時計の針の音に合わせて動かしてみた。チッ、上、チッ、下、チッ、右、チッ、左、チッ、上……。鼓動が緩やかになってきたその刹那、針の音に澄ましていたはずの左耳がなにか別の音を捉える。これは言葉にできない音だったんだけど文字にするなら「……ッッッッ!」という感じ。とにかく音に合わせた眼の動きは止めて、耳に集中を向けてみたところ、感じたのは音ではなく気配だったとわかった。そのとき今度は疑問符なしの言葉がはっきりと脳裏をよぎる。
「誰かいる…」。

息んでいた身体はさらに凝り固まり、悪寒さえ感じる。眼だけは自由だったけど気配を感じる背中から視線を逸らすように右下へ潜らせてしまった。それでも誰かいる誰かいる誰かいる、という不安の声は鳴りやまず、その声が募れば募るほど、足音なんて聞こえてないのに何かが近づいてくるような気がした。もうどうにもならない、震えることさえ許されない、それまで味わったことのない戦慄に心臓が身悶えする。そんな恐怖に包まれていた次の瞬間、ああ、人生であれほどの衝撃はない、その感覚がやってきたのだった。
「…覗き込んでるッッッッ!」

自由が利くにもかかわらず、右下へ潜らせていた視線をクイッと左上に向けさえすれば、その気配がなんであるかを確認できそうな距離まで、そいつはやってきた。しかも身動きの取れないぼくを覗き込むようにしている。もうなにを考えるもなく、とにかく怖くて仕方がなくなったぼくは一心不乱に動け!動け!と念じていた。けどその反面、おそらく動くであろう眼を動かすことだけはしなかった。心も体も縛られたあの感覚こそが本当の金縛りなんだろう。やがて念じることを諦め、許しを乞うような気持ちになったとき、事態は突然終わる。腹一杯吸い込んで吐いた息のような風圧がブワッと左耳にかかり、その瞬間、布団をガバッと押し退けて飛び跳ねるように立ち上がれたのだ。暗闇に慣れた眼で部屋を見渡し、なにかあったらと握りこぶしをつくる、が、部屋には誰もいなかった。明かりをつけてベッドに座り込み、ひとまずの安心感に浸る。その日は結局朝まで眠れなかった。

息のようなものを吹き掛けられた左耳に残った妙な感触は今でも忘れられない。親にいたずら疑惑もかけてみたが相手にされなかった。どうしてもあの恐怖を伝えたくて、以降はクラス中、学校中に言い触らして回っていたけど、なかなか期待通りの反応が返ってこないのでそのうちやめてしまった。今でもこの手の話題になったときは意気揚々とこの話を持ち出すけれど、やっぱり「金縛り」を身振り手振りで表現するのはむずかしい。気を付け!の姿勢になると途端にギャグ化してネタとなってしまう。心霊現象なんて信じない!と一概に言うことができない要因にもなっている体験談をうまく伝えられないというのはとても歯がゆい。カメラでも設置して何か証拠を掴もうかとぼくも思った。しかしどうやらその方法が見つかったらしい。これからは「期待通りの反応」を横目にできるわけだ。いやはや一安心。自分のヘボ役者っぷりに苛まれることとももうお別れ。

映画『パラノーマル・アクティビティ』を観せればいいのだから。(★★★★)