そらキミまちがえるぞ、はっ「板尾創路の脱獄王」

そこそこ面白かったんだけど『そこそこ止まり』でした。脱獄モノの映画のなんたるかまではよく知らないけど、まずインパクトありすぎな風貌にインパクトありすぎなタイトルの出し方。これで一気に興味がわいたし、あるときまでは國村隼を案内役として良い感じに物語が転がってたと思う。

でもコレもうちょっとおもしろく出来たと思うんですよ。シュール?なコメディとしても一風変わったサスペンスとしても。板尾がひた走るレールのように狙い目はすごくいいと思うんですけど、なんとなくどこにも辿り着けなかったような気がします。笑かしにこない映画なので声に出して笑う場面がないってのはいいです。その分謎に引き込まれますから。わからなすぎると失笑・苦笑といった様々な「笑い」の対応を取ることがむずかしいという、じわじわと追い込まれていく感じも素晴らしかったです。

追い込んで追い込んで、意表をつく。と、そのあたりまではだいぶ楽しめてたんですけど、途中でその謎に何故か理由をつけはじめてしまうんですね。つけざるおえないんですが、それがまた陳腐なうえにめちゃ普通ときては…。

この映画の物語は國村隼が観客と気持ちを共有しながら進んでいくので、國村隼のセリフ(ツッコミ)にツッコミどころがあるのはNGだと思うんです。最初の「線路で確保」の場面が説明くさいのは後に國村に気付かせて「おまえ何から逃げてるんだ?」というセリフを吐かせるためだったと思うんですが、ぼくはあのセリフにどうも納得できなくて、あそこでもう一歩踏み込んだツッコミがあればまた違ったものになった気がしてならないです。だってどう見ても「逃げてる」ようには見えないんですよ。これは板尾が走るシーンを後方からのアングルばかりで見せているからで、もう少し「逃げてる」演出がほしかったです。その謎は板尾が喋らないということで出来上がってるんだから「過去」の画と対比させることは諦めるべきだったんじゃないかなあ。逆さ富士がでてからは既定路線になっちゃって「確認」みたいな心境になっちゃいました。

一番光る台詞がぼくの中ではいろんな部分に当たることに。どうやら見方をまちがえたみたいです。(★★)