大人たちの挽歌「告白」

「あなた方の言葉を100%信用するなんて、出来ません」と森口先生は言った。教師という立場でありながら、自分には生徒を理解する能力もなければ意志もないのだ、と。思えば本当の意味での「告白」をしたのは彼女だけだ。教職を辞する旨を報告する壇上で今まで自分が抱えていた思いを打ち明ける。そのとき彼女が放つ凍てつくような「諦観」から察するにおそらく根本的な原因は娘・愛美ちゃんの死ではない。愛美ちゃんの死によってタガが外れ、それまで聖職者を演じていた自分を冷たく見つめていた本当の自分が現れたのだ。だからこそ世直し先生・桜宮正義先生に惹かれたんだろう。

「命の大切さなんて誰も教えてくれなかった」とAくんは言った。もし、こんなコトを言われたらどんな言葉をかけてあげたらいいだろう?ぼくには「そうですか」としか言えない。そんな誰に教えてもらうものでもないコトを「知らなかった」と言われても、何が彼をそうさせたのか、と考えるコトすらしちめんどくさい。ハッキリ言って終わってるので、時計の針を戻すか何とかしてどうにかこうにかしてもらうしかない。

『告白』はそんな「子どもが判らなくなった大人」による「大人に判ってもらえない子ども」への飽くなき復讐劇である。おもしろいのは松たか子演じる森口先生が利用することによって露になる人間模様だ。少年法を逆手に取る子どもに対し、森口先生はまた違った「少年法」を逆手に取って、クラスをいとも簡単にパニックへと落としめる。さらには岡田将生演じる熱血教師ウェルテルの子どもに対する「妄信」や、木村佳乃演じるBくんママが持つBくんへの「狂信」など、森口先生は大人たちをも利用してみせる。「大人を理解できない子ども」はいつかふとしたときに理することがあるかもしれないが、「子どもを理解できない大人」はそう簡単には変われないのだ、と、ぼくは痛感した。

映画には恋心、友情、愛情、そして憎悪。さまざまな感情が交錯するが、それが通じ合うことは無い。ぼくが一番心打たれたシーンはやっぱり森口先生がむせび泣く場面。夫になるはずだった桜宮正義先生の警告を振り切り、復讐の鬼へと化したはずの自分から流れる涙。教師、人、そして母として感じてしまった絶望。自分もまた「大人」のうちの一人だと諦めたはずなのに沸き上がってくる後ろめたさ。瞬間その先にある「無」を悟ってしまったのだ。そして、ラストの一言にはAくんにだけでなく、自分自身の更正の第一歩であると必死に言い聞かせてるんだと思う。

それにしてもこんなに話題性とクオリティーが高い邦画は久しぶり。是非多くの人に観てもらって、思いの丈を誰かに「告白」してほしい。一重にそう思いました。Aさん、Bさん、ここ、笑うとこじゃないですから。(★★★★)