母なる照明「プレシャス」

この映画の何に驚いたって主人公プレシャスの「妄想」を真っ正面直球どストレートで映像化したことですよ。あくまで観る前の印象に過ぎないんですが、この作品は映像にシャレたことせずに単純に役者の演技で見せ付けてくるんだろうな、と思ってたんで。プレシャスが現実世界に苛まれると顔をムギュッとさせて画面が暗転していき、そこにはディーバになったプレシャスが男をはべらかしてるわけですよ。

その映像のインパクトたるや、文字通り「大」なわけですが、ここでプレシャスのことを「かわいそうなひと」などと哀れんではいけません。少しでもそう思ってしまったなら、あなたの心にはプレシャスを蔑視しているモノがあるハズです。かく言うぼくも最初のうちは「痛い子だ」なんて思ってしまったんですけどね(苦笑)見た目で判断できることなんてたかが知れてるのですなあ。

物語が進むにつれてプレシャスの口から出る言葉たちが、彼女が「生きる術を知らないひと」であるコトを語ります。彼女にあるのは「カレシがほしい」という当たり前の願望と「なぜわたしがこんな目に?」という不幸のごった煮に対する疑問だけです。そんな中で劇中にある「どんな旅も第一歩から」のとおりにプレシャスが踏み出す道は希望の光が指し示しているかのようで、まさしく観る者の「プレシャス(宝物)」となるように見えます。

が、ぼくはカタルシスのない不幸、絶望を描いた映画の登場人物には全員に幸せになってほしい、と思ってるので、モニーク演じる母の言葉にはかなり引っ掛かりました。あんな理由ならば彼女たち親子のこれまでをすべて描いてほしいし、言っちゃえばモニークの子ども時代から何から何まで描いてほしいです。「実話」という説得力があれば別なんですが、どうも気に入りません。時代背景とかに精通していればそうは思わないのかもしんない。まあ、でもマイノリティーに光をあてるという映画の役目は十分果たしている作品ではあると思いましたです。

「情弱」なんて言葉の上にあぐらかいてる人間が多い今だからこそ、プレシャスの姿から学ぶものは多いはず。けど、やっぱりモニークにもっとスポットライトを当てて欲しかったなあ。うじうじ。(★★★)