拝啓世界様、今日からアンタを尻に敷く「キック・アス」

物事を最もショッキングに伝えられる方法として、やっぱり映画はズバ抜けている。血飛沫、切り株、内臓、叫び、そして物語上の死。視覚的にも感覚的にもハッキリと示すことができる。しかし、その影響力ゆえ、バカな若者が殺人をおかすと、しばしばアニメや漫画へと非難が飛び火することがある。

自殺者を多数出した小説は「名作」と受け入れるくせに、自分の興味のないモノは社会悪とし断罪してしまう。人が何にどう影響を受けるのかはその人の自由であり、何を欲するかももちろん自由であるはずなのに、だ。殺人を愉快に描いたモノに影響を受けて、現実で殺人をおかしてしまうなどということは、一重にそいつが悪い。そいつがバカでアフォでマジキチなだけだ。映画『キック・アス』の冒頭ではそのことがきちんと描かれる。

一方、バーン!グワシャア!バキベキ!ビチャアァ!などと音を立てて、人体が壊れていく様は純粋に楽しい。役名にAとかBとか、または申し訳程度にジョンとかついてるような奴が、ただ死ぬためだけに登場するとゾクゾクする。ウリャーと殺られにきたそいつらを待ってましたと料理する姿なんか見せられたら、カタルシスで悶絶だ。それを人を食ったような軽快な音楽にのせてきやがるんだからこの映画は大変。

きけば父ヒーロー・ビックダディを演じたニコラス・ケイジは実の息子にスーパーマンの名前カル=エルを命名するほどの大のアメコミ狂だそうな。そんな彼はミッキー・ロークが背中で人生を語った『レスラー』の主演予定だったが、監督の意向で回避。しかし、代わりに本作が彼の人生を語ったと言える。ロリで口が悪くて小悪魔でマジパネエ!キャラクター・ヒットガールの誕生は彼の人生を肯定し、ぼくらの理想を具現化してくれた。現実世界を凌駕する圧倒的な非現実として、メラメラとそしてモエモエとヒットガールは輝いていました。「評判なんて気にしない〜♪」とうそぶきながら、アメコミヒーロー映画の新たな道を切り開いた意欲作です。

とはいえ、現実世界で彼らの真似はできないので、せめてもの反抗として、お尻の童貞だけは絶対に絶対に堅守したいと思います。アス!じゃないオス!…(★★★★)