世界で一番不運で不幸せな私『クレイジーズ』

ジョージ・A・ロメロ監督作『ザ・クレイジーズ/細菌兵器の恐怖』('73)のリメイク作品。町中の人々が謎の細菌により「狂暴化(クレイジー化)」してしまい、突如として襲いかかってくるお話。

とても面白かったです。テンポよく進んでいく物語に超のめりこめたし、いわゆる「志村!うしろうしろ!」的なホラー映画としての驚かせ方もお上手だった。舞台が人口1200人程度の片田舎で、主人公一派はその町から脱出をはかろうとするのだけど、人口1200人だけあって町がショボめ。右往左往パニックになる舞台がいちいち田舎くさくて楽しい。なかでもよかったのは洗車機の中での場面。高速回転のモップで車が洗われ、前が見えなくなる中チラチラと人影が・・・!あの逃げ場のなさたるやまるでアトラクションです。子供の頃に「早く終わらないかな・・・」と小さくなりながら洗車機から抜けるのを待っていた感覚を思い出しました。

「クレイジー化」という現象ですが、これは目が赤くなったり人肉を欲したり動きがのろのろしたりといった「ゾンビ化」ではなくて、たしかに襲いかかってはきますが、驚くことにクレイジー化した者同士で「どうだ?」「いや、いない」といった会話をしているんです。目に見えて違うのは青白くただれた肌とその凶暴性だけで、凶暴性という点に重きを置いてみると、襲いかかってくる人々を躊躇せず殺していく主人公たちもクレイジー化した人々とやってること自体は変わりません。

オリジナル版は未見なのですが、感染者を駆除しようとする軍事機関側のお話もあるようで、「誰が感染者なのかわからない」という視点が描かれているそうです。このリメイク版では逃げまどう人々のお話だけが描かれていましたが、いわんとしていることは十分に伝わる仕上がり。住んでいる人ひとりひとりが名前と顔を認識し合っている小さな町でも、敵味方に一度でも分かれてしまうと関係の修復はむずかしいものなのですね。そんななかで、一度血迷ってしまったとはいえ、最期には銃弾を抜いて人間性を保った相棒(名前忘れた・・・)の姿は実にかっこよかった。信用できないものと決め付けて、淘汰することをやめない人間たちの恐怖がよく描かれており、そんな人間たちに目を付けられてしまった2人が本当に不憫でならない。ベタな映画かもしれないけど、何度でも再確認する必要がある人間の本質が描かれていたと思います。明日はわが身よ、嗚呼クレイジーズ。