無題

いろんな考えに一理あるなかで不平不満をグッとこらえる日々*1。そんななかで、アリエナイ石原慎太郎には気兼ねなく呪詛をとなえることができて、ちょっぴり毒抜きできたような気がします*2

今日16日は福島に友人を迎えに行くという友達のトンデモナイ電話で起きることになりました。遠くに行くから今オイル交換してもらってる、と・・・。きいた瞬間、胃がきゅうっと縮まり絶句してしまいましたが、これくらいのこと耐えないとね。先日ネットで知った阪神淡路大震災での教訓や邪魔になるだけとの言葉などでどうにか思いとどまらせることができ、ひとまず安心。その電話の数時間後に福島の友人に来るなと一喝されたとのメールが。みんなそれぞれの日々を戦っていると改めて実感。

ネットを見ているとあまりの情報の多さに気が滅入ってしまうので節電はむしろ苦じゃないや、なんて思ったりもしたけれど、深町先生のエントリを読んで、情報化社会の今だからこそのかすかな希望を感じることができました。たとえばNZや中国での震災時に自分は一体何をしただろう?と自問してみれば、対岸の火事だとATフィールド張って数日後には気にも留めていなかった、今さら自分をサイテーだと思える始末などなど。粗は尽きない。が、このことを「我欲」と言っているなら、石原慎太郎の発言は時代遅れのトンチキ発言だと政治や思想にノータリンのボクでも思う。

何をどう受け止めたらいいのかわからないこの状況下で、些細な不安を口にすればすぐさまそれが誰かの耳に届き、あたたかい言葉を投げかけてくれる。勇気を奮わせた声をあげれば多くの賛同者が現れ、その様子がまた多くのひとの胸を打つ。今、多くのひとが「ひとり」なんかじゃなくって、自己実現や承認欲求を満たすことが誰かのささやかな幸せになりうるじゃないか。ついこの間facebook革命があったばかりじゃない。もちろんそれがもたらす負の一面もあるんだろうとは思うけれど、未曾有の大震災の最中、表情を見るに心の底から「天罰」だなんて言いはなっている石原慎太郎はほんとうに罪深い。憎しみの対象が「天災」しかないことで歯がゆい思いをして、栃木まで放射線きたらまあしゃーないとか諦めかけていたけど、この都知事やってる「天才」が考えてることには絶対勝ってやろうと思う。被災者の方はホンッットにかわいそうとか強調してたけど、ホントのところは犠牲はつきものとか何とか言いたかったんだろうよ。バカめ。被災したひともそうでないひとも、アカまみれでも我欲まみれでも、とにかく生きるんだ。そう腹を決めました。

*1:こらえきれてないからコレ書いてるんだけどね

*2:これがホントの不謹慎