『さよならドビュッシー』繊細に紡がれた心地よさ

『さよならドビュッシー』感想。

ドコモ田家のCMで一日何回も目撃できるようになった橋本愛の主演映画です。今年の邦画始めはコレになりましたねぇ。面白かったです!音楽を主軸としたドラマと忍び寄る影的なミステリーのバランスがイイです。例えば、警察官以外の人物が誰かを疑うようなミステリー描写をやっていたら音楽パートへの不協和音になっていたし、遥(as橋本愛)の学校(教室内)での立ち振る舞いなどを描いていたら一本の映画として崩れていたと思います。それを象徴するかのような微かな演技を橋本愛が見せて/撮ってくれた映画でありました。

特に素晴らしかったのは、自宅レッスンから病院での演奏会へシーンをつないでいく場面です。大火傷から生還し、皮膚を全身移植した遥がそれまでにしたコトといえば、苦しいリハビリと涙を流すことだけでした。その彼女が笑顔を取り戻すまでをピアノ演奏のみを繋いでいって見せてくれました。複雑な心境にある彼女の想いを常に「ピアノへの想い」ひいてはドビュッシーの「月の光」への想いを語らせることで描いているのが上手いなと思いましたね。ある一つの感情を場面を繋ぐことで紡いでいくというのは映画ならではの心地よさであります。

誰かのためにピアノを弾いていた遥は、最後に自分のためにピアノを弾きました。誰かor自分ではなく「自分のためにすることが誰かのためにもなる」とても美しい瞬間だったと思います。そして、ラストにくるタイトルが人物造型に奥行きを持たせてくれました。ただ、もうちょっと余韻にひたっていたかったかなぁ。「橋本愛」の文字が表れたときすごくイイなぁと思ったんですよね。ピアニスト探偵・岬(as清塚信也)も奇妙な演技で良かった。面白かった!おわり。