狂想曲映画『気狂いピエロの決闘』にほとばしるビルバオ魂?!

気狂いピエロの決闘』感想。

待ちに待ったアレックス・デ・ラ・イグレシア監督作品。レンタルで見ました〜。ブッたまげ!超特大のド傑作!!去年見ていたらダントツのベストワンでしたねぇ。以下、不思議に思った点をググっているうちにたどり着いたこじつけ。

まず、アレックス・デ・ラ・イグレシア監督の出身はスペインのビルバオビルバオといえば、ボクにとっては「アスレティック・ビルバオ」。サッカーのリーガエスパニョーラに所属するクラブチームです。フェルナンド・ジョレンテという好きな選手のいるチームなんですが、最大のチームカラーに「地元バスク自治州出身者のみで形成されている」というのがあります。この事実にボクは、ビルバオ出身であるイグレシア監督にも地元への相当な“誇り”があるに違いない!と思うんですねぇ。

ビルバオが位置するのは現在のバスク自治州バスク自治州には、あのピカソの作品「ゲルニカ」のモチーフとなったナチスからの空爆を受けた都市ゲルニカがあります。よく、優れた映画のワンシーンを絵画のようだと評することがありますけれど、ひょっとして、この映画には、同じスペインの血をひく者としてのピカソ的な意匠(知らないけど!)があったんじゃないでしょうか。

映画の一場面に「死産のジョーク」がありました。演出的には、サーカス団の自己中心的なリーダーによる「オレが面白がってるんだからオマエらも笑え!」という独裁っぷりとそれに反発する主人公、といった具合で何のことはない挿話です。しかし、コレがなんとピカソにこじつけられるんです。ピカソには「生まれたとき非常に弱々しく、助産師に死産だと勘違いされ放置された」というエピソードがあるそうなんですよ。全然笑えない死産のジョークに対して「母親がいたはずだ」と反発する主人公は「いいか。母親はいない」とリーダー格に一蹴されてしまいますが、ピカソを放置した助産師は「母親の介護」にあたっていたそうなんですねぇ。そこから飛躍してもうひとつ。ゲルニカの制作時、ピカソには妻と2人の愛人がいました。その愛人のうちの一人が、ゲルニカ制作の様子を事細かに記録していたそうで、そのことに対してもう一人の愛人が猛烈に嫉妬したらしいんですねぇ。コレ、映画のなかで美女の移ろいゆく心に翻弄される男二人に置き換えられませんかね。あと、映画は首相暗殺テロのあった1973年を舞台としていますが、1973年はピカソの没年でもあるんですよ。

クライマックス。美女を追う怪物と化した二人の男。ここで何故か映像がモノクロ調になります。赤青黄色の三色がチラリと強調されることでモノクロをことさらに意識させ、「ゲルニカ」が白黒であることに併せて、顔面ぐちゃぐちゃの狂った男二人をピカソの絵の登場人物のように思わせます。高台に昇るクライマックスってのは映画ではよく見かける光景なんですが、「私はプロよ」「オレにも飛べるんだ」といった、およそ映画的といえる無謀な行動はただただ死を招きます。映画的な成功やカタルシスが全くないんですねぇ。コレはたぶん“どうすることもできなかった歴史の哀しみ”を表現しているんだと思います。ハイ。これらをまとめるとこの映画:原題『Balada triste de trompeta(哀しきトランペットのバラード)』は、「歴史に翻弄された民衆を象徴化し、その敗北の哀しみを同じスペインの血をひく者としてのピカソ的意匠を散りばめることで芸術に昇華させたエンターテインメント大傑作」といえるんじゃないでしょうか。……うーん、まとまってないねぇ(笑)

ゲルニカ」には他にも映画のなかで父を殺した「馬」や狩猟の的になっていた「鳩」、それに「塔から落ちる女」や「近付くと見える骸骨」などなど、こじつけ甲斐のある要素を多数見つけたんですが、さすがにもうアレだろうとヤメにしました。まぁ、今更遅いですけど。というわけで、この映画のバーレスクシーン最高!アレックス・デ・ラ・イグレシア監督はやっぱりスゲェ!見てない作品まだいっぱいあるから見たいよ!おわり。