鋼鉄の破壊『マン・オブ・スティール』

『マン・オブ・スティール』感想。

超さいこー!今年はもうパシリムあるからアクション系はもういいやーくらいに思っていたんですけど、いやはや参りました。見終わってすぐに続編を見たくなりましたよ。大好きなクリストファー・ノーラン製作で大好きなザック・スナイダー監督というタッグ 。文句なしに大好きな映画となりました。

スローでぎゅおーんな映像がお馴染みだったザック・スナイダーによる「これからはコレでしょ!」と言わんばかりの超速アクション。まずこれも最高。「映像革命」という言葉はこの映画のためにあったんじゃないかとすら思いましたし、「これが見たかったんだ!」っていう感覚、今まで見てきた映像感覚がぶち壊されて一新されるような、そんな快感を覚えました。思えば、この映画はずっと何かが壊れています。クリプトン星の大爆発、炎上する油田施設、バス事故、丸太で串刺しのトラック、全てを連れ去るハリケーン。終盤のスーパーバトルに至っては、何が壊れてるのかわからないほど何もかもが壊されていました。


劇中、最も壊れていたのは「価値観」です。救出された油田作業員、バス事故のクラスメイト、バーの男。彼らの目に憧憬はなく、ただただ立ち尽くすのみ。クラーク・ケント(asヘンリー・カヴィル)を神だと崇める女性は何やら怯えているようにさえ見えます。「力を試せ」といわれ思いっきり飛行するシーンには、それまで制御していた自分自身への価値観=タガが外れてしまったような禍々しさがあり、スーパーマンクラーク・ケントを破壊した瞬間といえると思います。他にも戦う相手の存在意義だとかを木っ端微塵にしていますね。これらの連続破壊には『ダークナイト』(2008)でバットマンを失墜させたり『インセプション』(2010)で世界を変えてみたりのクリストファー・ノーラン色を強く感じました。最後には、「スーパーマンらしさ」という歴史をもぶち壊し、鋼鉄の男の物語は、それを背負い取り戻す物語となっていくのです。んーーー素晴らしい!最高!おわり