不本意な理想郷『エリジウム』

エリジウム』感想。

ニール・ブロムカンプ監督の映画は「宇宙船」や「理想郷」といった特殊な事象で現実のほんの一部を尖らせたような、一枚の絵に一筆だけ色を足したような、そんな世界観だと思います。そして、その一部分の土台として、多くの人々の「見て見ぬふり」があるんですね。「なんかスゲー宇宙船きてるみたいだけど、俺らには関係ない…」「何でも治せる機械あるみたいだけど、私たちには関係ない…」みたいな。それに苦しむひと、それを利用するひと、さまざまなスタンスで生きるひとが出てくるから世界観が生き生きとしてるんですね。

物語はそういった「見て見ぬふり」がポイントとして描かれます。『第9地区』(2009)では、痛めつけられる親エビを一度は見捨てようとするクライマックスが見どころでした。『エリジウム』の世界は、不法にエリジウムへ侵入した者を「見逃さない」冷徹な長官デラコート(asジョディ・フォスター)や機械的に権力を振りかざしてくる圧政のある見て見ぬふりを余儀なくされた世界です。

そんな中で、主人公マックス(asマット・デイモン)は、恋心を寄せる女性フレイ(asアリシー・ブラガ)に娘がいることを知ったとき、見てはいけないものを見てしまった/見たことを消去してしまいたい、という反応をします。逆にフレイは、マックスの腕の偽IDを見つけたとき「娘を治す方法」が頭をよぎったような表情を浮かべ、マックスを執拗に追跡するエージェント・クルーガー(asシャールト・コプリー)は、フレイがマックスの居場所をを喋ったとき「こいつゲロったぜ!ヒドい女だなぁ!」と、明け透けな物言いをします。マックスの周囲のひとのタガが外れていく描写が、抑圧されたマックスというキャラクターを一層引き立たせてくれるんですね。

マックスは、しがない工場勤務でもいいからカタギに戻って慎ましい生活を望んでいました。肉体が強力に変化した時も貧民の革命運動を買って出るようなことは頭になく、職場の社長に一泡吹かしてやりたいという個人的な恨みを抱くのみでした。幼い頃にした「フレイをエリジウムへ連れて行く」という約束を大人になっても胸に秘めていました。が、物語が進むにつれて、その全ては姿形を変えてしまいます。目をつけられた上司の横暴で致死量の事故に遭わされたあげく仕事を失い、恨みをぶつけようとした社長に直接手を下すことは流れ弾に阻まれ、彼女のヒーローになりたいという約束/願望は世界を救うことへと変貌。マックスという男の物語は、そんな「不本意」に「見て見ぬふり」をしながら幕を閉じます。ハッピーエンドだけどハッピーエンドじゃない少しハッピーエンドな映画。アクションシーンさえもっとカッコ良く見せてくれればガチで好きだったですよ…。おわり