『R100』人志松本のツンデレな話

R100』感想。

よくわからない映画だったというかどんな映画だったのか説明しにくい映画でした。要するにSMというよりツンデレじゃね?と思うんですが、鑑賞後、一緒に見た彼女さんがワケわかんないと言っていたのでひとまずこう説明しました…

地震のことが“怖い″から“揺れ″を感じたときに不安を覚えるわけでしょ。でも、その不安を解消するのがテレビやネットで確認する地震の報道じゃん。あ〜やっぱり揺れてたんだ〜!つってさ。これってさ、ヘンじゃんか?自分の感覚に間違いはなかったっていう一つの納得だってことはわかるよ、でもさ、例えば外国の人から見たらさ、地震のことを「怖い」と思ってるんだから揺れに感じた不安を解消するのは「揺れてない」っていう事実であるべきなんじゃないのジャパニーズ?みたいなさ。えと、例えば、体育のドッジボールが物凄く苦手な人が居て、その人はドッジボールやだなーボール怖いなーと思ってるわけ。んで、そう思えば思うほどビクビクして狙われちゃう。そこで、やっぱりイヤ!ボール怖い!って思うなら解るよ。でも、ホラやっぱりボールきた!ビクビクして正解!ってなるのは、少しヘンじゃない??だから、揺れに対する不安も「やっぱり地震あったんだ!嫌だなァ」ってなるか、もしくは「良かった!揺れてなかったんだ!勘違いだった」と思うほうが筋通らない?って話。震災以降、人に備わったこのヘンな感覚のことを無差別SMプレイに置き換えて、それが100歳の老映画監督による自己満足的な話でした、っていう映画なんだと思う。」

……この説明では「(-.-;)」みたいな顔をされるオチだったので全く自信を持てませんが……。まぁ、ボクとしてはこの映画を見ているあいだ退屈/不快になることはなかったです。どちらかといえば面白かった。地震云々よりも「100歳の監督が撮っている」という設定が明らかになってからが良かったですね。この「客観化」に関して「映画が物語っていることはわたくし個人の意見ではありません」みたいな擦り付けを読み取って残念に思うか、そこにある真意を深読みして楽しもうとするか。この辺が評価の分かれ道になると思われます。ボクは後者でした。

ふと思ったことを頭を揺らして振り払う瞬間、喉から出かかった言葉を呑み込む瞬間って、よくあります。こんなこと考えてはいけない!こんなこと言ってはいけない!と、TPOをわきまえる瞬間です。映画監督を始めて6年、別の業界に飛び込んだ松本人志監督は正攻法で映画を勉強せず、際限なく映画づくりに取り組んでいるように思います。それは、映画という文化にある「自由度」をある種徹底的に信用している事だと思います。確か、松本人志監督は映画があまり好きではないようなことを言っていたと思うんですが、もしかしてこの6年でその心境は変わってきたんじゃないでしょうか。映画づくりの経験を重ねることでいつの間にか満足感を得るようになったんじゃないでしょうか。

「映画の批評を映画内で描いてしまうことで、“見た″という満足感を持ち帰りにくい状況へと観客を追い込む」なんてドSな映画、自己チューでイイなぁと思いました。映画相手になら何をしてもいい、という歪んだ信頼関係が妙な見応えを与えているんだと思います。映画界に興味本位で入会してしまった男=松本人志、そして、100歳にして映画に自己満足できるようになった映画監督=これからの可能性としての松本人志、という自分自身の“変化″を冷ややかに表現した作品。北野武監督は、映画を撮り始める松本人志に「とりあえず10本撮れ」と言ったことがあるそうです。松本作品ただいま4本目。この映画が折り返し地点だったと、そんな風に思えるときがくるんじゃないか、という期待を抱かせてもらえる映画でありました。……100年後かもしれないけど(笑)おわり