食べて、祈って、トイレして『悪の法則』

『悪の法則』感想。

ひっさしぶりに映画見ました〜。予告編の印象ではファム・ファタール的な感じなのかなとか思ってましたが、いやはやそんなもんじゃないというかそれどころじゃないというか…。ラストのセリフの瞬間に「…いやいや、お腹いっぱいだわ!」と、映画の悪趣味さに満たされる人間っておもしろ系映画でありました。

お口あんぐり見ていたらいつの間にか妖気が胃袋に溜まっていたような。自転車を漕ぎながらアクビをしたらフッと口の中に害虫が入ってしまったような。事故的なリズムを感じました。全編に敷かれる対話の応酬は、まるで先の見えないサーキットのよう。どこでカーブがやってくるのか、このレースは果たしていつ終わるのか。その言葉の意味=道筋が見えにくくて、つい探りたくなっちゃうんですねぇ。途中途中に挟まれる字幕のないスペイン語場面はさながらピットイン。しかしながら、一体どんな燃料を投入されたのか分からぬままケツを叩かれ物語のレースに戻されてしまう。その繰り返しです。

カウンセラーと呼ばれる男(asマイケル・ファスベンダー)は、麻薬密輸に手を染めながらもグラマラスでウブな美人妻ローラ(asペネロペ・クルス)との幸せな結婚生活を控えています。裏稼業という摂食中枢に従い、妻という満腹中枢でバランスを図っていたつもりが、二兎を追う者一兎をも得ずと相成ります。彼と関わり合いを持つ麻薬ディーラーのライナー(asハビエル・バルデム)は食べ盛りの男。ですが、愛人マルキナ(asキャメロン・ディアス)という毒物を摂取してしまったことにも自覚的で、その壊れたバランスで生きることを選びます。彼らの間に立つバイヤーのウェストリー(asブラッド・ピット)は、唯一そのバランスを効率的に消化していた男でしたが、役目を終えたときの最期はあまりに事務的。そんな中で生きていたからこそ、女や酒といった俗世間への欲求に正直だったんでしょう。劇中、一番共感できるキャラクターです。

「ダイヤモンドの価値はそれぞれの欠点で決まる。完璧なダイヤモンドとは無色透明の光であり、そもそも「石」という形=秩序を持たない」。マルキナのような“現実主義者”とは、それを追求する飽くなき人々です。「肉体」という秩序を「斬首」で否定することは、人間を無意味なモノに化すというダイヤモンドの価値判断基準そのまま。これがホントのカーセックスの場面も彼女の無秩序であろうとする人間性のように思います。

カウンセラー、ライナー、ウェストリー、ローラ、そして、マルキナ。彼らを分けるとしたら「人間として生きている人間」と「人間をやめたがっている人間」という感じです。しかし、人間である限り境界線はなく、「世界による人間の摂食〜排泄」というサイクルをそれぞれが人生を全うすることで形成しているのだ、ということを「ドラム缶の中の人間」の描写でジョークとして描いているのでした。一番かっこいいなと思ったセリフは「真実に温度などない」なんですが、その通りに物語を映し出すリドリー・スコット監督の平熱っぷりにもたいへん満たされました。ハイ。傑作。おわり