本年度ゴールデンママデミー賞受賞『ゼロ・グラビティ』

ゼロ・グラビティ』感想その2

男子なら経験のある「理屈はわかるけど感覚がわからないこと」のひとつに「母親は、お腹の中に赤ちゃんがいる間に母親だと自覚する。父親は子どもが生まれてこないと自覚できない」というのがあります。それを聞くたびに「うん……」と困っていたんですが、この映画を見て、何となく疑問が晴れました。

「緊急退避!命令だ!」と言われても作業を中断できないライアン・ストーン博士(asサンドラ・ブロック)の姿は、自分が何とかしないといけないという「母親としての重責」からつい無理をしてしまう心理に似ています。ロープに引っ張られるシーン、燃料が無かったシーンなどは、「自分の意志が通じないとき」。つまり、子どもが言うこと聞かなくてつい口悪くなってしまったり、イラ立って物にあたってしまう様子に似ています。

「男の子」を望んでいた父親から「ライアン」と名付けらたストーン博士。この映画における「重力」とは、生そのものだとされていますが、0歳のうちに広く万人に与えられている「生まれてくる条件」と飛躍して考えれば、「子どもは親を選べない」ことも重力とは言えないでしょうか。「祈ることさえ教えてくれなかった」父親との間にストーン博士はおそらく確執があり、あの「写真」を見ながら想っていたのは、別れた夫+娘+自分三人の家族のイメージではなく、両親+自分というイメージだったと思います。そして、不慮の死に見舞われた娘への「責任」をストーン博士は、こう背負い込んでいたと思います。娘が死んだのは「親が私だったから」と。

“お腹がだんだんと大きくなるうちに意識していく”とは、正解にいえば、“子を宿しながら外の世界に触れることで身に付く”ことなんだと思いました。「生」という壮大なテーマではあるものの、もっといえば、「母親」としての覚悟みたいなものが色濃いんじゃないかと思いました。「ママ、頑張るね」。背負い込んでいた娘の死という重みから解放され、ふたたび自分の足で立ち上がり歩いて行く。美しく力強い映画でありました。

『しあわせの隠れ場所』(2009)でオスカー初受賞を果たしたサンドラ・ブロックは、この映画でも主演女優賞の受賞が有力視されています。アンジェリーナ・ジョリーマリオン・コティヤールナタリー・ポートマンらが降板したのちに主演に選ばれたらしいサンドラですが、彼女にある「肝っ玉母ちゃん」っぽさが見事に役柄の隠し味となっておりました。「ラズベリー賞も同時に連覇する大女優」になってほしいです。ハイ。彼女のことがこの映画で大好きになりました!おわり