世界の中心で、auhhhを叫んだあと銃ブッ放して最後に宇宙人倒す『ワールズ・エンド 酔っぱらいが世界を救う!』

『ワールズ・エンド 酔っぱらいが世界を救う!』感想。

昨年の映画秘宝まつり以降ずーーーーっと楽しみに待っていたエドガー・ライト監督最新作。去年あたりに初めて「コルネット三部作」なる括りを知って、これまでの作品が「大人の成長」という共通のテーマを描いてはいるものの、なぜアイスクリーム?と疑問に思っていたんですが、なるほどエドガー・ライト。甘くとろけるロマンのなかにビターな隠し味を仕込む映画でありましたよ。

ショーン・オブ・ザ・デッド』(2004)にあったセリフ「他にも女はたくさんいる、愛すればこそ諦めろ、なんて陳腐なセリフは言わない。俺から言えるのは一つだけ。−−−−世界の終わりじゃない。」は、フラれて落ち込むショーン(asサイモン・ペグ)をエド(asニック・フロスト)が慰める言葉でした。それは「最終的にはオマエの気持ちを尊重するけどそれがどんな結果になろうとオマエはオマエだしオレはオマエの友達だよ」という想いを含んだ男の言葉です。その前段として「説得」を試みたんです。しかしその翌日、「ゾンビ」が引き金となってしまいショーンは自身の想いに歯止めがきかなくなった。そして、ウィンチェスターでの「俺に構わず二人で行け」のクライマックス。エドの心中は「お前が幸せなら俺も幸せさ」という切ないものだったと思います。auhhh…

ホット・ファズ -俺たちスーパーポリスメン!-』(2007)は、法と正しさ一辺倒のニコラス(asサイモン・ペグ)とポリスアクション映画大好き警官ダニー(asニック・フロスト)のまったく相容れないコンビが、如何にして歩み寄るか?どうやって同じことをして楽しむようになるか?という映画で、よそ者を歓迎しない田舎町に法の名のもと自分の価値観を振りかざすニコラスにはじめのうちダニーは「そんなの映画の中だけだよ」と思っています。現実はうまくいかないんだから家でバッドボーイズ見ようぜと。しかし、それすらも頑固に成し遂げようとする“理想狂”なニコラスを見るに見かねてダニーは“扉”を開けて助太刀するんですね。

二人のイメージには、どちらかといえばニックに“どうしようもない奴”があって、サイモンに“彼を見守る奴”がありましたが、それは逆でした。1作目2作目ともに“折れていた”のはニックの方で、彼のおかげで自分の世界を貫き通せていたのがサイモンでした。サイモンのみが“独りでは生きていけない人物”であり続けていたわけです。その関係性がハッキリと現れている3作目、ゆえにニック・フロストの活躍がグレードアップしています。

「友達と親友の違い」は人それぞれです。が、一つ「自分をさらけ出せるか否か」という項はあるように思います。相手の事は何でも知っている。相手が何を考えているかすぐにわかる。相手に深く踏み込んだことによる理解、または自分をオープンにしたことへの交換条件。そのバランスを問うのが三部作最終章となるこの映画です。そういった「友情」、如何に相手を理解する/理解してもらうかということを描くうえで、必然的にテーマは「侵略」となります。

この映画の宇宙人のセリフは実際にもよく聞くものです。「あなたのためを思って言っている」。それは、あなたがあなた自身を安心させるために言っている。おそらく、ボク自身には映画のようなドラマティックな瞬間、いわゆるジャッジメントデイみたいな日は訪れないだろうし、俺を置いて先へ行け!みたいな場面に出くわす事もないし、撃たなければいけないが撃てない虚空を見る事もないと思います。しかしそれはきっとエドガー・ライト監督にも同じこと。だからこそ彼は映画をつくる。そして、それができないボクは彼の映画に酔いしれる。叶わぬものであるというビターな味を噛み締めながら、そのロマンに見惚れる。劇中におけるサイモン&ニックの共依存が、監督と観客の間でも成立する。エドガー・ライト監督の映画のおかげでボクはかろうじて豊かでいられる。彼の映画が丸ごとすべてたまらなく好きです。傑作。おわり