最高!!!!!『アメイジング・スパイダーマン2』

アメイジングスパイダーマン2』感想。

1作目『アメイジングスパイダーマン』(2012)はマーク・ウェブ監督アレルギーを発症して映画館に見に行かなかったんでレンタルで見ました。面白かったけど駆け足過ぎね?ってのが最初の感想だったんですが、どうしたことかアメスパ2には並々ならぬ期待感を抱いてしまったのでこの間アメスパ1を再鑑賞。すると、前回のレンタル鑑賞は何だったのか?という勢いで気に入ってしまったので、期待を爆弾のように抱えて2D字幕ながら初日初回に突撃してきましたよ。結果、大爆発。今年のマイベストワン早くも決定です!

ピーター・パーカー/スパイダーマン(asアンドリュー・ガーフィールド)の両方を受け入れる唯一の人物であるグウェン・ステイシー(asエマ・ストーン)。二人のイチャラブ具合に見応えあるマーク・ウェブ版ですが、彼女は「ピーターの方が好き」と一方を選んでしまう。渋滞がちょっとさぁーなどと誤魔化している様子から察すれば、やはりスパイダーマンであることは二人にとってずいぶん前から枷となっているようです。

そんなピーターとの日々にしびれを切らしたグウェンは「別れてあげる」と提案。混乱するピーター。どうすればいいのか分からず途方に暮れるピーター。失意を味わいながらも1日数回グウェンを“見守って”しまうピーター。そんな彼を実は精神的に見守っているグウェン。結局、二人はヨリを戻しますが、今度こそ関係を壊さぬようにと、お遊び的とはいえ“ルール”を設けようとします。恋愛あるある。しかし消えぬ父の幻影。二人がやっているのは本来は禁じられた遊びで、「近付くな」というルールをすでに破っている。そのことを無意識的に自虐しているんですね。

グウェンの前でだけ一時的に本当の自分でいられるピーター。ですが、「ハリーと呼ぶな。お前は友達じゃない」−−−彼女以外、例えばハリー(asデイン・デハーン)の前ではどうか?旧友として何かしてあげられるのか?「私はあなたの母親よ!」−−−育ての親に洗濯物を分けてくれなんてウソをつき続けていいのか?グウェンからはそういった問題について“考える時間”をもらったピーターですが、とりわけハリーのような切羽詰まった相手とはそうはいきません。この“違い”がドラマの速度に緩急を生んでいます。

プルトニウムの回収、市民の安全、犯人の逮捕。スパイダーマンとしての活動は実に忙しなく、一方で卒業式や食事会にもピーター・パーカーとして出席しなければいけない。レールや人格がふたつあるわけではなく、すべては同列なんです。この、“時間は待ってくれない”感覚は、アクション以外のシーンに生活感を与え、アクションシーンとなれば「吹っ飛ぶ車!逃げ遅れる市民!静電気!さぁ!この瞬間をどう切り抜ける?!」というライド性を豊かにします。出自に迫ろうとする壁のテープはクモの糸のようになり、誰かを救おうとするウェブシューターの形は人の手のようになる。手を変え品を変え描写ひとつひとつにピーター・パーカー/スパイダーマンという存在に人間味を加えているわけです。

そもそもピーターがスパイダーマンとなったのキッカケはエレクトロ(asジェイミー・フォックス)と同じようなアクシデントでしかないし、元を正せばハリーのように父から渡された“呪い”です。学校内では高くもなく低くもない適度なポジションにいて叔父叔母は優しくて写真を撮るのが好き。しかし両親との過去という爆弾を抱えており、いざとなればライノ(asポール・ジアマッティ)と同じように爆発してしまうかもしれない。スパイダーマンになったらなったでやっぱり取り返しのつかない大切なものを失ってしまった。もう少し時間さえあればハリーに“血”のことを伝えられたかもしれない。けれど時間を戻すことは出来ない。この期に及んで自分に何が出来るっていうんだろう?

それでも、人々はスパイダーマンを必要とします。1作目、“マスクの力”はまだまだ力が足りなかった。しかし、2作目では、その“マスクの力”で勇気を得る少年が現れた。スパイダーマンは《希望の象徴》になったんです。希望の象徴、それは正義の到達点です。ジャッキー、シュワちゃん、平成ゴジラ。それは子どもの頃に見ていたプリミティブなヒーロー像であり、映画娯楽が常にアップデートすべきカッコ良さです。アメイジングスパイダーマン、超カッコイイまじヤバイ。あらためまして本年度ナンバーワンです!おわり