盗めたからやった『ブリングリング』

『ブリングリング』感想。

ソフィア・コッポラときけば必ず見たくなるくらいにはフツーにソフィア・コッポラ監督が好きだ。代表作『ロスト・イン・トランスレーション』[2003]はたまに見たい欲求にかられるし、前作『SOMEWHERE』[2010]のまどろみ系の映像は好み。幽体離脱的なストーリーもかなりツボ。主なモチーフは「セレブ」と「空虚」で、彼女自身がそうなのだから「セレブ」には説得力があるというか、どんな風に語るのかと興味がわいてしまう。「空虚」に関しても監督自身の共鳴と願望がそこにありはしないかと、またしても惹きつけられてしまう。「自分で選んだものをつくっている」この感じを常に出してくれてるのがコッポラ監督の好きなところだ。

セレブの家に空き巣に入り、盗みを働くだけでは飽き足らずパーティーまで開いていた素人窃盗団ブリングリングの実話。いつもより提示の道筋として面白いのが、セレブの動向をネットで嗅ぎ付けたあとに家へ侵入し金品を盗みに盗みまくって満たされるのではなく、逆に「それしかすることがなくなる」感じがイイと思う。この映画、話が進むにつれてどんどん空虚になっていくんです。増える盗品、失われる物語性、みたいな。

盗品を買い取ってもらおうとするも思い描いていたような額にはならない。確かに金にはなるけど盗むという行為が価値を著しく下げている。受け取ったお金も使い道はとうぜん夜遊び。気付いたら朝になっていてパソコンの前でまた「物色」。周りのみんなにも「セレブの家でバカやってる奴ら」で通ってる。いまさら止める理由もない。それなら「今できることを精一杯やる」彼ら彼女らにとってはそれを実践しているダケ。

現代版俺たちに明日はない的な感じと掴みきれない進行形な感じがイイです。10年後くらいに彼らがこの奇行を振り返ってどんなことを思うんだろうと考えたとき、このあいだ偶然WOWOWで見た『プロメテウス』[2012]のセリフを思い出した。「人間はどうして私を造ったんですか?」「さぁな、造れたからだろ」「………」−−−−「無価値」にある安心感。所詮ゼロであるなら何をしてもいい。そこには暴走ではない自由がある。「こんなことで有名になるのは不思議な気分だよ」その不思議な気分は世界でごく一部の者が味わえる無価値であり、ごく一部の者が生み出せる新しい禁忌だ。最高。おわり