ティンベー!ローチン!牙突零式!『るろうに剣心 京都大火編』

るろうに剣心 京都大火編』感想。

話は面白かったです。戦う→喋る→戦う→喋るの繰り返しなので全編にダラーっとした雰囲気があって、蒼紫(as伊勢谷友介)だけコント仕立てのリズムに陥っていたのは残念でしたが、まとまり具合はほぼほぼ楽しめました。

が、見ていて拭い去れないのが、監督や制作陣がやりたいのは「るろ剣」の「実写化」ではなく、「アクションで世界と勝負する日本映画」なんじゃないか?企画として「大人気コミックの実写化」と箔をつけるためにたまたま「るろ剣」を選んだだけなんじゃないか?という疑念です。そう思うのは、るろ剣人気の大きな要素である「技」の描写に熱を感じられないからです。

前作で不評だった牙突の描写。引っ張られてる感ほとばしる動きを見せる斎藤一(as江口洋介)のオカシさは「がとちゅ」と揶揄されることになり、それはそれで面白いという情けない結果に終わったのが前作にあった「技」でした。ならば、それを踏まえて改善すべきでは?と思います。が、この映画の取った手段はまさかの「技」への「割り切り」でした。これはダメです。最悪です。技っぽいものを繰り出すときの「コレでいいでしょう感」にはここ数年味わったことがないくらい最低な気持ちにさせられました。

「二重の極み」を習得するエピソードがカットでしたね?−−−斬馬刀持たしときゃいいんです。クライマックスに必要な天翔龍閃はどうするの?−−−雰囲気つくったあとにそれっぽく刀振り上げときます。冒頭で起きた爆発は紅蓮腕によるもの?−−−と、思わせるだけでヨシとしました。次作で志々雄真実(as藤原竜也)の壱〜終の秘剣は登場する?−−−しません。弥彦が見様見真似を繰り出すことはある?−−−ありません。この映画のアクションにある「リアルさ」なんてもんは、漫画の技にときめいて縮地を再現しようとちょこまか動く子どもたち、飛天御剣流なんたら閃!と精一杯のイイ声で高いところから飛び降りながら細枝を振り回す子どもたちの姿へ「リアルではない」と突き付けるだけです。

ゴムゴムのピストル!の掛け声が無かったら悲しいでしょう。お父さんお母さん息子さん娘さんみんな寂しがるでしょう。るろ剣原作の特に京都編なんて繰り出す技についていちいち解説が入るつくりになっていたでしょう。その技を編み出すに至ったキャラ設定なんかがあったでしょう。それを実写でやらなくていい理由なんて無いんですよ。やると批判の的になるかもしれない。失笑されるかもしれない。でも、やろうとすること、やった爪痕を残すこと、そこに意義があるはず。この剣心(as佐藤健)やこの宗次郎(as神木隆之介)だったら絶対やってくれたし、「漫画じゃないから技名は言わないけど…」なんて言ってた伊勢谷クンだってこの翁(as田中泯)につられて足技磨いたり小太刀二刀流のカッコよさ追求したりしてくれたハズ。アクションとしての志だけでは「るろ剣」を「実写映画化」したことにはならない。それだけなら、るろ剣でなくとも成立するから。やるべきは、前作からの改善と少年漫画という原点に立ち返ること、すなわち「技」を磨くことだったと思います。ほんとうに残念。強くそう思いました。(おわり)