クリストファー・ノーランはかく語りき『インターステラー』

ゼロ・グラビティ』(’13)の宇宙空間に「ヒイィイイッ!」と体感的に楽しませてもらえたばかりなのに、1年も経たずにこれですか!とまずは自分を律するような気持ちにさせられる傑作でありました。

内容を思い返すといろんなことが頭をよぎって、いろんな感想・評論を読みたくなる映画ですが、ボクのなかに強く残っている印象は3点です。

インターステラー』感想。

ひとつめ、クリストファー・ノーラン監督の作品史上はじめて「笑える」場面があったことです。ノーラン監督の映画の上映中に「ハハハッ」と笑い声がきこえたのは初めてのことでしたし、自分も何度かクスッとなりました。それは主にTARSやCASEとのやり取りの場面だったわけですが、会話の舵を取る主人公クーパー(マシュー・マコノヒー)の魅力によるところも大きかったです。彼に身に付いているジョークの素振りや言い回し、これはアドリブなんじゃないか?とまで思わせてくれる淀みのない演技。彼の人間的なリズムが簡素な有機的機械とのやり取りに良い具合にハマっていてうまく引き込んでもらえました。

ふたつめ、劇中いちばん印象に残っているセリフについてです。−−−「生まれてくる時代を間違えた」。主人公クーパーが義父(ジョン・リスゴー)に投げかけられる言葉ですが、クリストファー・ノーラン監督って、さまざまな発言や本物志向の撮影方法を見るに、テクノロジーの進化よりも人間が如何に人間として次のステージに進めるか、みたいなことを本気で考えてる人なんだと思いました。ノーラン監督は現代よりも70年代や80年代の活躍を夢見ていて、キューブリックスピルバーグと一緒に映画づくりに携わりたかった、もしくは競争したかったのかな、と。まぁ、それはノーラン監督以外もそうかもしれないんですけど。とにかく、現代に対する疑問や不満を映画から強く感じました。

そんなノーラン監督がよくいわれる言説に「女優を撮るのがヘタ」「アクションシーンがヘタ」ってのがあるように思うんですが、本作の舞台が「宇宙」ということで、重力から解き放たれたがゆえ「肉体」の捉え方は変わり、地球から離れたがゆえ登場人物は広く人類として認識されるため「性」の影響下から逃れていたように思います。かかる登場人物の描写はより内面的な「愛」が重要視され、そこに現実的な科学考証さえ加われば、もう怖いもんはナシ!ってところに監督史上はじめて辿り着いていたように思います。今まででいちばん隙が無かったから「この際、無視する!」なんて急展開ができたんじゃないかと。余談ですが、クーパーが地球にいるときに着ていた茶色い上着が、昨年のお気に入り映画『LOOPER/ルーパー』(’12)でJGLが着ていたものに酷似していて嬉しくなりましたね。個人的にライアン・ジョンソン監督にはクリストファー・ノーラン監督と同じ香りを感じていたもので。その上着が劇中で年月を経て娘マーフ(ジェシカ・チャステイン)におさがりしていたのもさり気ない好きポイントです。

最後にみっつめ、アメリア(アン・ハサウェイ)とクーパーが今後について話す場面で、それぞれの「愛」どちらがエゴか?みたいな議論がなされますが、たとえば、親の有り難みって実家を離れて一人暮らしを始めてから気付くもんだし、子供の頃は鬱陶しくてしょうがなかった親のガミガミも自分が親になってみたら身に染みるほど理解ができるものですよね。他には失ってわかる恋人への想いだったり…。ひょっとして「愛」ってやつは「時」を超えてこそ実感できるものなんじゃないか?と、そんなことを思いました。「無償の愛」の「無償さ」はその時の見返りがないからこそ成立するもので、それを受け取るのもまた時を超えてしかるべきだということ。まちがいなく、クリストファー・ノーラン監督の最重要作と思います。キューブリックへのリスペクトも過去作との比較ができるファンの後押しを得て時を超えきっと届くはず。今年いちばん長いあいだ映画館の暗闇で楽しく過ごすことができた作品です。最高。今年のベストにしようかな。(おわり)