2000馬力で駆け抜ける生と死のエンターテインメント決定版『マッドマックス 怒りのデス・ロード』

公開数ヶ月前からレクイエムにのせた素敵すぎる予告編でさんざんアガらされたうえに数週間前となればツイッターを覗くなり試写などで鑑賞された方々のやれヒャッハーだのやれラブリーデイだの賑やかな感想ばかりを見させられては、シリーズ3作目を見ていない体たらくでありながらも期待値が最高レベルにまで押し上げられるのは当然で初日の夜に3D字幕、立て続けに2D吹替に突撃の2度鑑賞をするハメになったのでありました。まさかここまでとは……。鑑賞後にこんなに気持ちのいい脱力感を味わったのは久しぶりです。<生きてる>って気にさせてもらえました!最高!!!


マッドマックス 怒りのデス・ロード』感想。



とにかくです、見ていて時間経過が早い早い。“息もつかせぬ”とはまさにこのこと。まず、捕らえられてから完璧な流れでのタイトルコール。それからあれよあれよと血の火の世界が開幕。砂漠の地平とゴツゴツの岩山、白塗り、トゲトゲ、人を輸血袋と呼ぶ世界の有り様、エンジン音、爆発、そして火を吹くギター。盛り上がりっぱなしの映画がようやく息継ぎをするのは砂嵐の後。ここまでですでに四〇分経過。三分の一終わってます。観客はただただ映像を浴びるのみなのです。



次にくるのがマックス、フュリオサ、ニュークスの組んず解れつのパート、束の間の夕焼け、異形の夜、そして中ボスとして現れるレクイエムに乗った武器将軍。光を失った武器将軍の生への渇望が狂気へと駆り立てる瞬間は映画のひとつのハイライトであります。レクイエム繋がりと失明ってのから『バトル・ロワイアル』(2000)の桐山を思い出しちゃいました。戦慄……!このあと、やられたらやり返すの儀式を終えて、ようやくこの映画は一段落しやがります。



クライマックスへ行く前に印象深かったことを。この映画には<繋がり>にまつわる物語があるように思います。まず、オープニングにあるとおりマックスは鎖に繋がれた男。荒れ果てた世界をどこまで行っても生者と死者の両方に追われている。そんなマックスと血と鎖で繋がるのがニュークス。ニュークスはマックスとはある意味正反対でハンドルが無ければ何も手が届かない男。ボクにはこのマックスの<血>がニュークスに何かを与えたとしか思えない。死を約束された短い生を受け、英雄の仲間入りを果たすためだけに生きてきたニュークスが、人を慈しむこと、自分のためでなく誰かのために“生”を捧げること、そんな風に人生を全うできたのはマックスと血の契りを交わしたからではないか。悪役イモータン・ジョーもまた「子供は俺のモノだ」という繋がりに囚われているし、フュリオサは希望という名の故郷を夢見ている。立て続けに起こる生と死の連打のなかに倒れゆく仲間を想う眼差しや叫びが矢継ぎ早に盛り込まれ、何かの繋がりを断ち切ろうとするドラマ/あっけなく断ち切られる瞬間がヒャッハーな映像で散る火花のように繰り出される。極上の娯楽映画でした。



クライマックス。行きて帰りし物語よろしく、来た道を戻っていく一行。道中で結び繋がった仲間が次々と倒れていく。V8インターセプターまで木っ端微塵になったのは、フュリオサの言っていた「過去の精算」を期せずして血の契りを交わしたマックスが行ったんじゃないだろうか。このシリーズの向かう先が一体どこなのかわからないけれど、<生き残る>本能に苦しむマックスという男にどうか救いのドラマが訪れてほしい。復讐の女神との旅=フューリーロードの幕を下ろしたのは、“生き残る”という闘争心ではなく、レバーを手に取ったウォーププスの子どもたちによる“共に生きる”という繋がりなのだから。


それにつけてもコイツのカッコよさよ!!!
ドゥーフ・ウォーリアー!映画史に残るキャラクターの誕生に立ち会えました!!!
ありがとう!!!!