アクションするヒーロー『アベンジャーズ/エイジ・オブ・ウルトロン』

シリーズ中、最高中の最高だったし、何だったらシリーズ全作への愛情がより深まる大傑作だったです。ナターシャ最高!

と、本編の感想を書く前にこのプロジェクト「マーベルシネマティックユニバース」に対して思っていることを。2008年に始動してから早7年。今回でシリーズ第11作目です。今後2019年までの公開スケジュールも発表されている状況です。これ、ボクはそんなに楽しいと思えなかったんですよね。だって予定変更されるとショックだし、契約どうこうで出演者が変わったりを現に見てきているから信用できないし、もっとこう小出しにして「あの映画の続編が?!」って踊らせてくれないかなぁと。あまりに管理統制が取れすぎていてビジネス感剥き出しに感じちゃうんですよね。でも、その不満が今回ようやく解決しました。


アベンジャーズ エイジ・オブ・ウルトロン』感想。


前作(という表現は正しくないかもだけど)『アベンジャーズ』(2012)は、アイアンマン、ハルク、キャプテン・アメリカマイティ・ソーといった一枚岩のヒーローたちが、どのようにしてアベンジャーズというチームを結成するに至ったか?その姿を、世界に、また外敵に、初披露する“デビュー戦”で、個々のヒーローがまとまっていく気持ち良さがこのうえなく描かれていました。



で、今回。アベンジャーズという存在は一体どういった組織なのか。外敵や世間からどんな風に捉えられているのか。また、それらをどう受け止め、予想しうる脅威に対して何を備え、今後アベンジャーズはどうしていくのか。そんな姿が描かれており、前作で結成したチームをより優れたものへ成長させるためにどう組織化していくか?個々の状態はどうか?軋轢はあるか?修正点はどこか?補うべきところはないか?何年も先のシリーズが予定されてるマーベルシネマティックユニバースならではの“今後を見据えた”ストーリー展開がされておりました。アクションシーンに全員を均等に映し込むTHE・仕事には制作側の頑張りが感じられ、株主総会のようなパーティーや忙殺されながらの社内恋愛などにはヒーローを職業とするキャラクターたちと共に過ごしているかのような感覚が味わえました。ヒーローもヒーロー映画に携わる人も(当たり前だけど)大変なんだなーって。



そんなアベンジャーズと今回相対するのがウルトロン。ウルトロンには、アベンジャーズと同じように地球を守るという大義名分がプログラムされていますが、決定的に違うのは正義を守る縛りがないということ。「大義名分」と「正義」は、スタークとロジャースがそうであるように得てしてぶつかり合うものです。ウルトロンとは、アベンジャーズがもしかしたら陥ってしまうかもしれない姿/またはアベンジャーズが克服しておくべき試練のようなものとして登場したんですね。だから、ウルトロンはアベンジャーズの存在否定をすることで自己の獲得を目指します。喋りがどこか自嘲的なのが面白くて、それはアベンジャーズという姿形あるものを否定しつつも自身に肉体が無いことを不完全だとしている自己矛盾を抱えてるんでくね。アベンジャーズにはアベンジャーズの悩み、ウルトロンにはウルトロンの悩みがあります。その末路にはひとえに悪役とはいえない物悲しい雰囲気が漂いました。



ウルトロンという課題に対してアベンジャーズが取った行動は「細かいことは考えられない!とにかく今は目の前の危機を回避する!」です。倒してから考える。これは『アイアンマン』(2008)で「撃ってから狙うのは順序が違う」という父の言葉に反する行動で半ば強引にアイアンマンを完成させたトニー・スタークの特徴であり、ひいては「まず予定を立ててから考える」シリーズの指針ではないかと思います。今そこにいる人々のために誰よりも早くアクションを起こすのがアベンジャーズなのです。報復や復讐という意味を含んだアベンジャーズがヒーローなのかどうかはまだ誰にも分からないし、そもそも人それぞれの価値観によるもので答えは無いのかもしれない。それでもヒーローを職業にする者たちの戦い/復讐と報復と正義の葛藤を描き、そしてアベンジャーズとはいったいどんな存在なのか?をテーマに向かって歩み出すシリーズの【進化】を描いた傑作でありました。だからタイトルに【ウルトロン紀】とあるんですね。誰もが絶望するなかで決して諦めずに必ずアクションを起こす。もちろんそこにも「正しさ」の苦悩はあります。これからのドラマはそこに向かうんでしょう。ですが、見せ場としては結局のところ「未曾有の危機」を如何に回避するか?だと思います。「時空の穴から宇宙海賊が現れて大ピンチ」と「街が隕石の装置となって人類滅亡寸前」に対するアクションはやりました。次回は果たして。楽しみです!