告解者に憐れみを『渇き』

復讐三部作を撮り終えたパク・チャヌクの新作。主人公の神父さんを演じるのはソン・ガンホ。神父さんなのだから人々を救いへと導いていくのが役目なのだろうが、映画の冒頭でさっそく彼は自分にはそんな力などない、と絶望してしまう。それならせめてとほとんど自殺行為であると知りながら奇病のワクチン開発のサンプルとして自らを提供するガンホ神父。命を賭して誰かの救いになることを願っての行動だったが、皮肉にも彼は生き延びてしまう。なぜかバンパイアとして。

神父であった男が、人の血を吸わなければいけないバンパイアに生まれ変わるというのがまず面白いが、登場する人物のほとんどが何かに飢えを感じている人たちで、邦題の『渇き』とはイコール誰しもが抱く欲望に置き換えられる。あれをやってはいけないこれをやってはいけないなどと言われると、無性にやりたくなってしまうのが人間の性で、もしくは、あなたにはこれを禁ずるあれを科する、とかなんとか言われてしまうと、いや、無理だから。と、なるのが普通だろう。我慢はつらいよ。

ガンホ神父がちゅーちゅー血を吸うシーンにある背徳感の裏には「やってはいけないこと」のルールを破った快感が存在し、そうすることでしか生きられない絶望とそうすれば生きられるという誘惑が見えてくる。この誘惑にガンホ神父は当然ながら負けてしまう。なんといってもその誘惑とは女、女なのだ。それも超絶美人のファム・ファタール。彼女もまた「渇き」を抱えた人間であり、ガンホ神父と交わるごとにどんどんと生き生きとした姿になっていくのが本当に素晴らしい。

あまり正しい読み取り方ではない気がするけど、ぼくにはこの映画がパク・チャヌク監督自身の「わたしは不倫がしたいのです」という願望に思えてならない。はじめにかかる実在しない奇病の名前はEV(エマニュエル・ウイルスa.k.a未亡人の呪い)であるし、皆が寝静まった真夜中に病院のベッドで情事に耽るとかあまりにもktkrすぎる。しかし、そこが好きなのだ。男として、はげしく同意してしまうのだ。復讐三部作で描いた人間の業の深さからスケールダウンした感は否めないが、こんなことがバレたら原題の『コウモリ』として身を隠して生きていくしかないだろう。うーん・・・なんだかネタ記事になってしまった。残念!(★★★★)