2011年宇宙の旅『マグノリア』

しばしば「デキるほうのPTA*1」と褒めそやされるポール・トーマス・アンダーソン監督作品。188分という長尺もあって、なかなか再見できずにいたのですが、先日鑑賞したコーエン兄弟監督作品『バーバー』にあった「ひとつひとつの場面は迷路のようだが全体像を見ると安心する」との言葉にきっかけを掴み、数年間見ていなかった反動か昨日今日と二夜連続で見てしまいました。

主な登場人物である9人は各々がひどく個人的な問題を抱えていて、その問題は過去であったり現在であったりして、求めるものはさまざま多様なのですが、物語が進むにつれて、登場人物たちが不思議な関連性を見せていきます。

個人的に好きなのは序盤のフィル(asフィリップ・シーモア・ホフマン)の場面です。死の床に臥した老人アール(asジェイソン・ロバーズ)の邸宅にホームヘルパーとして訪ねているフィルは、SEXの伝道師として一世を風靡している著名人フランク(asトム・クルーズ)こそ疎遠になっている息子だとアールからきかせられる。十人十色の群像劇であるこの物語の「ファーストコンタクト」といえる事実です。

この事実に唖然としたフィルの表情が映されたとき、何やら拍手と声援のような音と同時に『2001年宇宙の旅』に代表される『ツァラストゥラはかく語りき』が流されます。映画の専門用語に詳しくないので説明するのがむずかしいんですが、これはフィルとアールの会話の次の場面となるフランク主催のイベントの様子が、音だけ先行してはさまれたもので、場面と場面が流れるようにつながっていく映画においてよく見るものなんですが、ボクにはこの場面がまるで物語のはじまりを「祝福」しているように思えて、見るたびに嬉しくて拍手をおくりたくなってしまうんです。

今回が何度目の鑑賞かはわかりませんが、一見何の関連性もない『バーバー』の言葉が『マグノリア』にある「for fa and ea」というメッセージに通ずるように思い、また、その言葉から鑑賞のきっかけを得たということが、冒頭に紹介される事件の持つ「偶然の不一致」と何やら重なっているようにも感じ、見るものすべてを驚かせるラストの「転機」のなか、ひとり冷静に「こーゆーこともあるよ」とコトを見届ける天才少年の気持ちがちょびっとだけ分かったような気にもさせてもらえて、またしても嬉しくてたまらなくなるのでした。人生のうち少なくとも188分はこの映画に捧げなければいけませんね。深いい話の大傑作。

*1:これを言うひとはダメなほうも好きな法則