常人二十面相『MAD探偵 7人の容疑者』

ジョニー・トー監督作品。少年のように怯える者はそのまま「少年」に見え、利己的な女のように嘘や企みごとをする者はそのまま「利己的な女」に見えるといった具合に「人の内面が見えてしまう」主人公バン刑事(asラウ・チンワン)の視点がそっくりそのまま可視化されていて驚きました。すごく良かったです!

有り体にもほどがある映像表現なので本当に驚いたんですが、その驚きには「見てはいけないものを見てしまった」感じがあって、それはなぜかって「見えはしないけれど、知っていることだから」だと思うんですよね。誰だってそのときの相手/状況次第で人が変わるはずです。そんな風に簡単に納得させてくれるこの映像表現は物凄くどうかしているように思えて良かったですね。

映画の物語は、その視点の可視化にあるバン刑事のどうかしてる感についてであって、「刺殺犯になりきるため豚をメッタ刺し」「女子高生の遺体がスーツケースの中で発見とあらば自らスーツケースに入ってみる」などのオープニングシーンで、彼の異常性がさらりと描かれていますが、極め付けとなるのが尊敬する上司への退職祝いに「自分の耳を切り落として差し出す」こと。おかしい。完全におかしい。この描写は画家ゴッホをモチーフとしているそうですが、ボクはこれを単純に「他に生きる術を知らない不器用さ」と捉えて、ほとんど『レスラー』のような物語だと思って見ていました。喪失感=別れた妻という映像を通して見えてくるモノとは「捜査」のできる現場へと彼の抱く「渇望」だったのです。

バン刑事のそんな心情を読み取ってしまうと、ある場面ではとても切なく、しかし、ある場面では滑稽に、ともすればおどろおどろしく見えたりもして、最初に感じていた「見てはいけないものを見てしまった」感とは、画家の絵がモチーフになっていることから『マルホランド・ドライブ』のようなものだったのかな、とも思ったりしました。ラストシーン、銃のすり替えに右往左往している男の姿は、もはやそれまでに登場していた男ではなく違う「誰か」に見えてしまいます。そんな視点を俯瞰して終わる映画を「すごく良かった」なんて思ってしまうボクも、もしかしたらバン刑事と同じようにどうかしてるのかもしれません。おわり。