もし大島優子と同じ高校に通っていたら今頃はボクとまゆゆが「おしりシスターズ」かもしれない『ミスター・ノーバディ』

一度はもじってみたくなる『もしドラ』のタイトルをつけてしまったこの映画、とてもおもしろかったです。「もし、あのときこうしていれば、今頃はこうなっていたかもしれない」という感情にはしばしば「失敗/後悔」の念がつきまとうが、主人公ニモ・ノーバディ(asジャレット・レト)の場合、その人生の「選択」には一体どのくらいの可能性があったのか?という壮大なテーマを見事に映像化した作品。

2092年に人間が不死になっている時代が「ある」というSF設定を軸に、すべての人間が「死なない」世界での最後の「生き残り=死ぬ人間」である男ニモ・ノーバディ(118歳)が主人公。彼に「これまでの人生はどうでしたか?」というインタビューを行うことが物語の発信源ではあるけれど、語られる彼の人生というのが、「離婚した両親、もし父親の元にいたならこうしていた〜母の元ならこうしていた」や「あのコとそのコとこのコ、あのコとはこうでそのコとはこう、そしてこのコとならばこうしていた」といった一人の人物では体験不可能な話で、その描写が時系列関係なく目まぐるしく映り変わっていく。

大人の頃のキスシーンから画面がぐるんと回って子供の頃のキスシーンに変わっていく場面がものすごくイイ。ただ、その映像の連続にちょっちリズムが足りていないとは思うけれど、真相がつかめないといったミステリー描写を求心力に、最後には見る者へ問いかけてくることが最大の魅力。その問いかけには「アナタ自身のすべての人生を謳歌しよう」という賛美があって、十人十色にひとりで染まっていく贅沢な物語に25歳という若輩者ではありながらボク自身が経験してきた色んな「失敗」とその「後悔」にだって生まれてくる可能性が「ある」という風に、すべての描写でもって「人生を肯定をする」という多幸感で包んでくれるのだ。

もし、AKBの人気メンバー大島優子が通っていた高校を受験して合格していれば、今頃はボクとまゆゆが「おしりシスターズ*1」を結成していたのかもしれないし、通うことのなかった今があるからこそまゆゆ推しのファンを楽しくやっていられるのかもしれない。くだらないしキリがないことなのだけれど、そこにはさまざまな可能性が「常にある」ということだ。映画『ミスター・ノーバディ』の主人公ニモ・ノーバディとは何者だったのか?もしかしたら、映画に登場したうちの誰かだったのかもしれないし、その誰かだとしても想像の産物でしかないのかもしれない。だからこそ、ボクの人生にだって何があるかわからないし、わかってはいてもその選択はむずかしいことなんだろう。でも、そのすべてに可能性があって、その可能性とはアナタ/ボクでしかないということを確かに感じさせてもらえるイイ映画でした。おわり。

*1:大島優子渡辺麻友は互いのお尻を触りあってキャッキャッしている