人生1カット『50/50 フィフティ・フィフティ』

モテキ到来中のジョセフ・ゴードン=レヴィット主演映画。

パンフレットやポスターで、髪の毛を剃るシーンがやたらにプッシュされているんですが、劇中でも「ああ、ホントに剃ったんだなぁ」とちゃんと伝わるように映されていて、別に驚くことはないフツーのことだとは思うんだけど、それ以外に何か引っかかるものを感じていたらば、あーこの映画は人生が一発勝負だっていう当たり前のことを描いた作品だったんだなっていう自分の感想に行き着きました。

ガンの宣告っていうワケのわからないものをされたってどうしたらいいかわかんないし、周りだってどう接していいのかわからない。でも、とにかくされたもんは仕方ないから思い立ったこと、知っていることをやるしかない、っていう知りもしない行動規範に振り回されている人々の描き方がリアルでした。そのなかで、恋人役ブライス・ダラス・ハワードも「わたしだって努力してるのに。。。」と、なんとか奮闘するのだけど、車の送り迎えは?あ・・・わたしが!という一瞬の躊躇を伏線にして、彼女だけは輪の中からはじき出されてしまう。でも、自分がやろうと思ったことをやったのだから仕方ないですよね。「わたし変わるから!」と失敗にも気付いた。映画が終わる頃には全員が自分の落ち度に気付いているんだと思う。

失敗から学ぶ成功への第一歩っていう普遍的な題材を「出会う人すべてを幸せにできる人なんていない=50/50」という正直さで描くスタンスに共感しました。でも、セス・ローゲンの描き方だけはチョット残念で、長く付き合って衝突の少なかった友達の危機には楽観的に振舞うことしかできないっていうリアルさが、本から学んだっていう描写でチョット崩れちゃったカンジ。プロデュースもしているからバカだと思われるかもしれない周りの目を気にしたのかな。理由は見ているうちにピンとこなかったや。でも、監督さん若いし。役者もそれぞれ見所ある場面あったし。今年のベストテンにいれてもいいくらいに気に入りました。と、一度エントリアップしたのを読み返してみたら、お母さんはテレビ、アナケンは習った事、セスロゲは本で学んだことっていう行動規範に振り回されてるって自分で書いてるやん。失敗に気付く。ブラダラは個展とかやっちゃうクリエイティブな人だから行動規範を自分のなかに持っていたんですね。納得。おわり。