オスにゃんペロペロ(^ω^)『ものすごくうるさくて、ありえないほど近い』


物語の主人公はニューヨークに住む9歳の少年オスカー(asトーマス・ホーン)。オスカーは、思ったことをなんでも口にしてしまう子で、良い言葉も悪い言葉も思ったことは全部包み隠さずに言ってしまうんですね。その言葉は時に嘘にもなりますが、観客には「嘘その1」と可愛らしく教えてくれます。悪い言葉というと、我らがジョン・グッドマンが、ホテルのドアマンとして登場するんですが、彼になんて「ジジィははやく死ね!」とか言っちゃうんですね。ああ、なんて可哀相なジョン・グッドマン☆(ゝω・)テヘペロっ。良い言葉のほうは、話をしている相手が自分についてどう思っているのか?という純粋な疑問だったり、会話の最中にたとえば「タンバリン」という単語を使ったときには、その「タンバリン」についての知識/思い出をバーッと全部口にしちゃうんですね。話が飛んで脈絡がなくなっちゃう。そのせいなのか、最近の映画の人物描写としてやたらとクローズアップされている「アスペルガー症候群」についても語られるんですけど、この線は「診断を受けたら大丈夫だった」と、きっぱり否定されます。

それじゃあ、オスカーはフツーの子どもなのか?といえばそれも違くって、オスカーにはもうひとつの特徴として「都会の喧騒が苦手」というのがあります。建物や人から発せられる音をものすごく嫌がるんですね。その音を聞こえないようにするために外へ出るときには必ずタンバリンを持って歩きます。タンバリンを耳元でシャンシャン鳴らして都会の音をかき消す/聞こえないようにするんです。フツーに道を歩きながらタンバリンをシャンシャンさせるオスカーの可愛さったらないですよ☆(ゝω・)テヘペロっ。「思ったことを全部口にする」「都会の喧騒が苦手」この二つの特徴からわかるのは、オスカーは、自分の中に言葉をとどめておけないということです。思ったことを口にするのは吐き出さなくちゃ居られないということで、喧騒が苦手なのは「外部」からの声を受け入れられないということなんですね。「外部」の声は彼の「内部」に訴えかけてきて、オスカーにはそれが耐えられません。

ものすごくうるさくて、ありえないほど近い』には「自分の声」という意味があるように思います。頭のなか心のなかで巡らせる思考の声です。劇中に「“無”を考える」いやいや“無”を“考える”って矛盾してるじゃん!という「矛盾語法」についてのやり取りがあって、まぁ、それについて詳しくはわかりませんが☆(ゝω・)テヘペロっ、オスカーが何故自分の声をとどめておけないのか?というのがメインテーマに繋がります。昨年、大ヒットしたアニメ『映画 けいおん!』(2011)には、受け売り知識を失敬してまとめると「何気ない日常が魅力と言われがちだが、ドラマとしては、彼女たちの秘めた想いを観客“のみ”が共有できることこそが魅力であり、また、その記号の表情は豊かなアニメーションで描かれている」というのがありました。オスカーは「秘めている想い」で胸がいっぱいになっていました。誰にも話せずに溜め込んでいました。そのせいで何も受け入れられないんですね。でも、そのことを誰かと共有することができれば、想いと想いとが繋がって「物語」になって、その物語への想いは胸にしまっておくことができます。言葉ではなくとも表情で伝えることもできます。この映画は、そんな個人的な物語にある“秘匿性の輝き”について描いた傑作だと思いました。画像の口を押さえる仕草がもうそうですねきっと。それにしても最近多いね、こういうテーマ。物語は癒しの第一歩になるかということなのかなぁ。まぁ、とりあえず、オスカーくんにはオスカー像を。そして、『映画 けいおん!』(2011)にも日本アカデミー賞を☆(ゝω・)テヘペロっ。おわり。