LVT監督の異常な愛情 または私は如何にして心配するのを止めて鬱病を愛するようになったか『メランコリア』


ラース・フォン・トリアー監督の作品を初めて鑑賞しました。とてもよかったです。どういう言葉がふさわしいのかわからないセリフ無しのスーパースロー映像に「ぽわ〜っ」とした感覚を味わわされて、そこから第一部ジャスティン/第二部クレアとパート分けがされた姉妹の物語へとうつります。で、この二人の物語から、オープニングの映像が本編のハイライトだったとわかるわけですが、そうなるとつまりラストは・・・え?え?え?というのが鑑賞中の心持ちでしたね。見たあとしばらくの間はどこどこのシーンはこういうこと?あれは何?それじゃああれは?ということも考えていたんですが、一日経つと結構どうでもよくなっちゃいました(笑)。

「この文章はウソである」という言葉にボクが持てる意見は、そのパラドックスへのぼんやりとした理解だけなんですが、そこに感じる物事を解体することへの「限界」には、なんだかちょっとした安心感があります。まぁ、ボクの知能指数の話は置いておいて、あと、言いたいのは思考停止とかそういうことでもなくって・・・むむむなんだか雲行きの怪しい感想になってきましたが、主人公ジャスティン(asキルスティン・ダンスト)が抱いているであろう途方もない絶望感をすべて飲み込んでくれる展開は、間違いなく彼女にとってはハッピーエンドだと思ってしまったし、惑星メランコリアが太陽の裏側に隠れていたというのにも物事には見える人にしか見えない部分があるんだと、それは瓶に入った無数の豆の数を当てるようなものだと。この映画は「理由」ではなくて「理由の理由」でしか感動を味わえないと思いましたよ。

とにかく、この解らなくても好きだと思えてる気持ちを残しておきたいので、今、大急ぎでこの感想を書いてるわけです。ホントによく映画にしたなぁと思います。必要だったはずこういうの。ラース・フォン・トリアー監督は作品ごとに好みが分かれているとよくきくので、近々バーッと全作品を見てみようと思います。「鬱病を愛する」という行為には何か“理由”があるはず。いやーイイ映画を見ました。おわり。