小悪魔はなぜモテる?愚問!『ジェニファーズ・ボディ』(2009)


JUNO/ジュノ』(2007)で脚光を浴び、最新作『ヤング≒アダルト』(2011)が公開中の脚本家ディアブロ・コディの作品。監督は『ガールファイト』(2000)、『イーオン・フラックス』(2005)のカリン・クサマ。一度見たときはピンとくるものがなかったんだけど、『ヤング≒アダルト』をとても気に入ったので改めて見てみたら、うん、なんとなくわかった気がするよ。ディアブロ・コディさん。これ、すごくリアルで迫るものがある物語だね。友情の「あるある」としてかなりイイ。心が引き裂かれそうな想いだよ。苦笑いしながらね。

主人公ニーディ(asアマンダ・セイフライド)は、眼鏡で地味なイケてないほうの女子。でも、いじめられたりするキャラではなく、というか見方によっちゃイケてなくもない感じだし、フツーくらいにはイケている彼氏もいる。まぁ、それなりのことはやっている/デキる女の子だ。そんなニーディには幼馴染みがいる。ジェニファー(asミーガン・フォックス)だ。ジェニファーはニーディとは打って変わって断然イケイケ。学校内でも異彩を放ち、まさにクラスに一人いるかいないかという“ホット”な女性だ。そんなコは往々にしてみんながやってないようなことを我先にとやりたがるもの。10代の女の子とあらばその思いにはセックスが付き物で、なんと、ジェニファーはお尻のほうも経験済みなのである。この作品は、そんなまるで違う二人の「何となく続いた友情」をテーマにしている。

少し話がそれるけど、ボクは「ヤリマン」のことを「ビッチ」だとは思っていない。ビッチというのは(というのはってのもヘンだけど…)、まず、「女を武器にする」ことにためらいがない。根本的というか男根的というか、男をそういう生き物だとして見てる。さらに、その武器とは「演技」であることがほとんどなので、時にか弱く、時に妖艶に、どの姿でも相手に嘘でもいいからこの瞬間に身を任せたいと思わせて、トロけさせる/落とすのが上手い女のことを言う。「悪女」っていうのはビッチと「程度」の差があるように思う。ビッチには性のイメージで、悪女にはカネのにおい。ヤリマンには、たとえば吉田恵輔監督の『純喫茶磯辺』(2008)における麻生久美子のようにそれぞれ行為に及ぶ理由/事情があるハズなので、言葉の響き自体はイヤだけどイメージするものに悪いものはない。話を戻す。まぁ、ビッチをミーガン・フォックスが演じたら最高に決まっている。自身にそういったイメージが既にあることを愉しんでいるようにさえ見える貫禄のビッチっぷりだ。そして、やっぱり、男はビッチにヤられることにためらいがない。女と違って貞操ってモンの感覚が弱いのだと納得せざるをえなくて、嗚呼いつも心にまぐわいや。ビッチに目覚めたジェニファーへのジェラスと私怨を制御できなくなる主人公ニーディの物語を、ヘヴィーな曲をキメながら100m先にいる男へカメラがズォーッと寄っていくなどして意味不明に“ハイ”に盛り上げる怪作でありました。ボクは苦笑いしたけれど、それはディアブロ・コディの自虐的な高笑いがきこえるからかもしれない。おわり。