漢の戦い『進撃の巨人 ATTACK ON TITAN』

進撃の巨人 ATTACK ON TITAN』感想。

実写映画版を見たあとに原作漫画を全巻読んだ。そりゃ100分弱と単行本16冊じゃ情報の錯綜っぷりが違うけど、実写版のほうがキャラクターに感情移入できるしスッキリしてて好きだ。原作漫画は、巻末の嘘予告コーナーが面白いから最後まで読んではみたけれど、キャラクターの描写があくまで個人的な「殺人の覚悟」に終始したり、そもそも主人公エレン含め真面目なだけで意外性に乏しかったり、盛り上がりとしても女型の巨人がピークで、王家がどうした記憶改竄がどうしたの辺りからは後出しジャンケンの応酬に過ぎなかったりで、もう読み進めるというより「読まされる」感じに辟易とさせられてしまい、次第に興味が薄れていく、といったある意味王道の少年漫画だと思った。



原作漫画とは違うエレンの設定変更というドーピングがされることによって、映画版は完全に「漢の戦い」の様相を呈するものになった。「自分の守りたいものについて納得のいかないことがある」という単純明快な行動原理が配されていて、それは男でも女でもなく漢なのだ。そこに制作陣の日本映画に対する心意気が見て取れるのは言わずもがで、それは嫌いになれないよね。それと、原作漫画では消臭されている性描写が映画版では「死への恐怖」からくる錯乱として描かれていて、男を誘惑する女と女を押し倒す男と均等に配することで、個人的なキャラクター描写ではなく、「世界は残酷」の臨場感を増すものとして画面に登場しているのが上手い。

そんなこんな色々あるけど、実写版の魅力は日本映画のお家芸がそこかしこに感じられるところで、そのひとつは「巨人の気持ち悪さ」で、体型や表情がやけにリアルな巨人たちの薄ら笑いや佇まいにはJホラーの亜流を感じさせてくれる。もうひとつは「バトルロワイヤル感」で、派遣される調査兵団のほとんどが「心臓を捧げよ!」なんて本気で思ってはいなくて、でも色々な理由で行かなきゃならなくてっていう若者の圧力鍋調理が楽しい。美味いもんは何度食っても美味いもんだ。

壁の向こうの世界に見ていたエレンの希望は絶望に変わり、まだ見ぬ海に見たアルミンの羨望は抑圧に変えられてしまう。壁に連れていかれるときに「え?今じゃなくていいよ?」と言ったミカサは3人の世界でじゅうぶん幸せを感じていたが未曾有の恐怖を味わい、力でそれを服従させることしかできなくなった。実写版はこの3人の関係性に焦点が充てられていてシンプルに楽しい。あとはハンジ役の石原さとみが最高だった。いつまでも見ていたいキャラクター2015年度ナンバーワンです。




本編感想はもう書くことがないので最後にネットで見かける場外乱闘のことを。facebookの友達限定公開で書いた暴言がネットに晒されるってそんな幼稚な出来事が起きるのか!何だか第104期訓練兵の中から巨人探しをすることと被って壮大な自演かと思ってしまうよ。あと、出禁を掻い潜ってまで試写に駆け付けダメダメの評価を下すということを本当にしたのなら、前田有一という男は相当にネチネチしていて打算的な仕事人間なんだね。良いと思う。もう続報は無いだろうけど、漫画の記憶改竄能力は確かにこういうとき平和に機能するだろうなって思った。ハイ、映画は普通に楽しかったので、来月の後編公開を楽しみにします。

希望は持つものじゃなく与えるもの『マッドマックス 怒りのデス・ロード』

3回目を見てきました。面白い。何度見ても面白い。公開初日に3D字幕と2D吹替を見たので何となくあと2D字幕も見とかなきゃって思って行ってきました。3回目なのに全然胸張れないのがスゴい。

マッドマックス 怒りのデス・ロード』感想その2

※この格好で見させられる映画館とかあったらヤバい


あらためてここが好きだな最高だなって思ったのは、何かでアクセル踏みっぱなしにしておかなければならない状況がほとんどのなか、視線や表情だけでキャラクター同士の察する動作が行われること、と同時にピタゴラ的に連動していくアクションの心地良さです。

隊形を組み直せ!と、突然の進路変更に合わせる統制にこれまでの歴戦が感じられて気持ちいい。猛々しい汽笛は会敵の合図で銀のスプレーとオレを見ろの一言は彼等の儀式だ。まるで何かの実地研修を受けているようで楽しい。習うより慣れよとはこのことだ。第1ステージともいえる砂嵐へ突入するまでに主人公マックスはオープニングの語りをのぞいてたった一言「オレの車!」としか言わない。にも関わらずいやだからこそ「あぁコイツはしっかりと狂っているんだな」と理解させてもらえる。世界観と人物描写を同時進行でやってくれる神がかり的な手際の良さに圧倒されます。

目当てのタンクが爆発すると深追いをやめるヤマアラシの描写も実に鮮やか。弾を込めてと云われ何もできなかったスプレンディドがその責任感からイモータン・ジョーの接近を身を挺して凌ぐという描写のきめ細やかさも素晴らしい。繰り返しになるけど、一連のアクションの中にキャラクターの心情がきちんと盛り込んであるんですね。そして、そんな彼女の行動をおそらくは察知したであろうマックスが、彼女をそっと親指を立て讃えるクールさ。たまらない。何なのだこの映画は。点で終わらせない線の描写とはこんなにも人を感動させるものなのか。マックスはこのあと「目には目を」の行動を取る。この頃にはフュリオサとマックスの間に信頼関係がガッチリ結ばれており、観客と共に見ず知らずの二人も理解を深めていたのだと気付かされます。

このような描写を経て、マックスやフュリオサらワイヴスにとっては逃走劇、ニュークスにとっては追走劇だったものが「救出劇」へと移行していく快感で心と脳内が満たされていきます。

ラスト。シタデルへの帰還を果たしイモータン・ジョーの亡き骸を見せると民衆から沸き上がる歓声、そして注がれる監視役の息子へのウォーププスの子ども達の視線。歓声はいたってシンプルなものだけど、あの視線については少し考えたい。王が死んだと分かるなり残された息子にあんな視線を送るということは、きっとウォーププスたちは歯車を駆動させたり太鼓を叩いたりの日々を送りながら、地上のいる人々を見下ろすときに「これでいいのかな」とモヤモヤしていたんだろう。そのモヤモヤは少なくとも人間性は失われていないことの証左であり、同時に幼い子どもであっても希望の名のもと牙を向く世界の残虐性だ。何度見てもレバーを引きフュリオサたちを招き入れるのはその子どもたちの手によるものだという描写に考えさせられてしまう。そして、武器将軍に人喰い男爵、ドゥーフウォーリアーやリクタスと、軒並み中堅クラスを蹴散らして美味しいところはフュリオサに譲ったマックスが最後に魅力的な姿を見せてくれる。世の中は善悪だけで解決することはできないけれど、それでも生きる居場所はあるという風景を苦虫を噛んだような表情で眺め、そのなかでオレにできるのはせいぜいマイナスをゼロに戻すことなどと背中で捨てゼリフを吐きながら交わすフュリオサとの微笑み。希望とは持つもの抱くものではなく、誰かに与えるものなのだ。そのことをワイヴスを連れ出すフュリオサのそれにある儚さやニュークスの生きざまなど、さまざまな形でこの映画は提示してくれていたのだとラストのマックスの姿が語る。なんだこれは。なんなんだマックスてやつは。あんたのことをいつまでも見ていたいよ。あんたとずっと一緒にいたいよなのにあああああ映画が終わってしまう!なんてラブリーな映画なんだ!!!と、何度見ても同じ感想を抱かされるのでした。あーーーー極上爆音上映、来月いっぱいくらいまでやっててくれるかな。行きたい。めちゃくちゃ行きたいです。以上!

アクションするヒーロー『アベンジャーズ/エイジ・オブ・ウルトロン』

シリーズ中、最高中の最高だったし、何だったらシリーズ全作への愛情がより深まる大傑作だったです。ナターシャ最高!

と、本編の感想を書く前にこのプロジェクト「マーベルシネマティックユニバース」に対して思っていることを。2008年に始動してから早7年。今回でシリーズ第11作目です。今後2019年までの公開スケジュールも発表されている状況です。これ、ボクはそんなに楽しいと思えなかったんですよね。だって予定変更されるとショックだし、契約どうこうで出演者が変わったりを現に見てきているから信用できないし、もっとこう小出しにして「あの映画の続編が?!」って踊らせてくれないかなぁと。あまりに管理統制が取れすぎていてビジネス感剥き出しに感じちゃうんですよね。でも、その不満が今回ようやく解決しました。


アベンジャーズ エイジ・オブ・ウルトロン』感想。


前作(という表現は正しくないかもだけど)『アベンジャーズ』(2012)は、アイアンマン、ハルク、キャプテン・アメリカマイティ・ソーといった一枚岩のヒーローたちが、どのようにしてアベンジャーズというチームを結成するに至ったか?その姿を、世界に、また外敵に、初披露する“デビュー戦”で、個々のヒーローがまとまっていく気持ち良さがこのうえなく描かれていました。



で、今回。アベンジャーズという存在は一体どういった組織なのか。外敵や世間からどんな風に捉えられているのか。また、それらをどう受け止め、予想しうる脅威に対して何を備え、今後アベンジャーズはどうしていくのか。そんな姿が描かれており、前作で結成したチームをより優れたものへ成長させるためにどう組織化していくか?個々の状態はどうか?軋轢はあるか?修正点はどこか?補うべきところはないか?何年も先のシリーズが予定されてるマーベルシネマティックユニバースならではの“今後を見据えた”ストーリー展開がされておりました。アクションシーンに全員を均等に映し込むTHE・仕事には制作側の頑張りが感じられ、株主総会のようなパーティーや忙殺されながらの社内恋愛などにはヒーローを職業とするキャラクターたちと共に過ごしているかのような感覚が味わえました。ヒーローもヒーロー映画に携わる人も(当たり前だけど)大変なんだなーって。



そんなアベンジャーズと今回相対するのがウルトロン。ウルトロンには、アベンジャーズと同じように地球を守るという大義名分がプログラムされていますが、決定的に違うのは正義を守る縛りがないということ。「大義名分」と「正義」は、スタークとロジャースがそうであるように得てしてぶつかり合うものです。ウルトロンとは、アベンジャーズがもしかしたら陥ってしまうかもしれない姿/またはアベンジャーズが克服しておくべき試練のようなものとして登場したんですね。だから、ウルトロンはアベンジャーズの存在否定をすることで自己の獲得を目指します。喋りがどこか自嘲的なのが面白くて、それはアベンジャーズという姿形あるものを否定しつつも自身に肉体が無いことを不完全だとしている自己矛盾を抱えてるんでくね。アベンジャーズにはアベンジャーズの悩み、ウルトロンにはウルトロンの悩みがあります。その末路にはひとえに悪役とはいえない物悲しい雰囲気が漂いました。



ウルトロンという課題に対してアベンジャーズが取った行動は「細かいことは考えられない!とにかく今は目の前の危機を回避する!」です。倒してから考える。これは『アイアンマン』(2008)で「撃ってから狙うのは順序が違う」という父の言葉に反する行動で半ば強引にアイアンマンを完成させたトニー・スタークの特徴であり、ひいては「まず予定を立ててから考える」シリーズの指針ではないかと思います。今そこにいる人々のために誰よりも早くアクションを起こすのがアベンジャーズなのです。報復や復讐という意味を含んだアベンジャーズがヒーローなのかどうかはまだ誰にも分からないし、そもそも人それぞれの価値観によるもので答えは無いのかもしれない。それでもヒーローを職業にする者たちの戦い/復讐と報復と正義の葛藤を描き、そしてアベンジャーズとはいったいどんな存在なのか?をテーマに向かって歩み出すシリーズの【進化】を描いた傑作でありました。だからタイトルに【ウルトロン紀】とあるんですね。誰もが絶望するなかで決して諦めずに必ずアクションを起こす。もちろんそこにも「正しさ」の苦悩はあります。これからのドラマはそこに向かうんでしょう。ですが、見せ場としては結局のところ「未曾有の危機」を如何に回避するか?だと思います。「時空の穴から宇宙海賊が現れて大ピンチ」と「街が隕石の装置となって人類滅亡寸前」に対するアクションはやりました。次回は果たして。楽しみです!

いずむうびい謹製2015年上半期の映画ベストテン+α

上半期のまとめ。劇場鑑賞は27本。少ねっ!と思ったら月平均で4〜5本だから、まぁそんなもんかなと。去年くらいから「すげぇ見たい」と思うものしか見ない体質になってるので、こうなりますわな。というわけで、そんな中から劇場鑑賞映画10本をセレクト。


2015年上半期映画ベストテン

01.『マッドマックス 怒りのデス・ロード
02.『ピッチ・パーフェクト
03.『海街diary
04.『寄生獣 完結編』
05.『きっと、星のせいじゃない。』
06.『セッション』
07.『イミテーション・ゲーム/エニグマと天才数学者の秘密
08.『味園ユニバース
09.『くちびるに歌を
10.『ドラゴンボールZ 復活の「F」


いたってフツーな並びになりました。

鑑賞から1週間経っても脳内麻薬出っぱなしの1位『マッドマックス 怒りのデス・ロード』。下半期に控えてる映画のハードルをグワーーーッと上げる大傑作でしたね。マッドマックスもう一回見たいからスクリーン取っちゃうアベンジャーズは1週遅れて公開でもいいよ?なんてちょっぴり思ってます。マックス、ニュークス、フュリオサ、五人の妻、バイクの婆さん、イモータン・ジョー、武器将軍と乳首男爵、リクタスやシタデルの民たち、核で汚染された世界で人間の尊厳が失われ、そして再生していく気高い血の通った物語です。


2位『ピッチ・パーフェクト』は、オープニングのゲロで心掴まれ、あとはもうアナ・ケンドリックら面々がどう束ねられていくのかに身をゆだねて幸せになれる映画でした。歌の古今東西ゲームみたいな生歌合戦シーンが最高に楽しい。3位には『海街diary』。綾瀬はるか長澤まさみ夏帆広瀬すずの四姉妹は最強カルテットとして語り継がれることでしょう。夏帆はあの店長さんと「お似合い」に見える不思議な魅力を身に付けました。


4位『寄生獣 完結編』。デスノートるろ剣、そして進撃の巨人。個人的に観測した「邦画2部作もの」で染谷くんと橋本愛ちゃんの美しいラブストーリーを描いたこの映画は間違いなくトップ。5位『きっと、星のせいじゃない。』は登場キャラクターの立ち居振舞いの微笑ましさにやられました。『ダイバージェント』(2014)でも組んでいたシェイリーン・ウッドリーアンセル・エルゴート。好き。


6位『セッション』はクソ教師とクソ生徒のクソ絆。7位『イミテーション・ゲーム/エニグマと天才数学者の秘密』はその重厚さに終始釘付け。8位『味園ユニバース』は苦手だった二階堂ふみちゃんが可愛く思えたのと主題歌「ココロオドレバ」がとにかく好き。9位『くちびるに歌を』はガッキーのピアノシーンがそよ風みたいで良かったし、自閉症を持った青年アキオを演じた黒猫チェルシー渡辺大知関連の描写が素晴らしかった。10位『ドラゴンボールZ 復活の「F」』はベジータと悟空が拮抗したレベルになってて嬉しかった。「復活のF」とか「ゴールデンフリーザ」とか「スーパーサイヤ人ゴッドの力を持ったサイヤ人によるスーパーサイヤ人」とか、声に出したい日本語になっている点も素晴らしい。


〜〜〜おまけ〜〜〜

今年の12月で30歳を迎えるので〈20代のうちに見た映画ベストテン〉をササッと選んでおこうと思います。劇場鑑賞優先。今年見たやつは熱量がホヤホヤすぎるんで除外。記憶頼みでパッとね。ブログ6年目、Twitter3年目の結晶がここに!(?)


20代・映画ベストテン!

01.『スコット・ピルグリムvs.邪悪な元カレ軍団』(2010)
02.『パシフィック・リム』(2013)
03.『ダークナイト』(2008)
04.『レボリューショナリー・ロード/燃え尽きるまで』(2008)
05.『アメイジングスパイダーマン2』(2014)
06.『レミーのおいしいレストラン』(2007)
07.『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』(2012)
08.『風立ちぬ』(2013)
09.『天然コケッコー』(2007)
10.『スピード・レーサー』(2007)


上位3本の衝撃は別格。てか、選び始めたらやっぱり10年って長いなーと。ブログやり始めたここ5〜6年で見た映画に思い入れがありますね。さて、残りの半年間でマッドマックス並みの衝撃を味わうことはあるのか。楽しみです。それでは、また。

2000馬力で駆け抜ける生と死のエンターテインメント決定版『マッドマックス 怒りのデス・ロード』

公開数ヶ月前からレクイエムにのせた素敵すぎる予告編でさんざんアガらされたうえに数週間前となればツイッターを覗くなり試写などで鑑賞された方々のやれヒャッハーだのやれラブリーデイだの賑やかな感想ばかりを見させられては、シリーズ3作目を見ていない体たらくでありながらも期待値が最高レベルにまで押し上げられるのは当然で初日の夜に3D字幕、立て続けに2D吹替に突撃の2度鑑賞をするハメになったのでありました。まさかここまでとは……。鑑賞後にこんなに気持ちのいい脱力感を味わったのは久しぶりです。<生きてる>って気にさせてもらえました!最高!!!


マッドマックス 怒りのデス・ロード』感想。



とにかくです、見ていて時間経過が早い早い。“息もつかせぬ”とはまさにこのこと。まず、捕らえられてから完璧な流れでのタイトルコール。それからあれよあれよと血の火の世界が開幕。砂漠の地平とゴツゴツの岩山、白塗り、トゲトゲ、人を輸血袋と呼ぶ世界の有り様、エンジン音、爆発、そして火を吹くギター。盛り上がりっぱなしの映画がようやく息継ぎをするのは砂嵐の後。ここまでですでに四〇分経過。三分の一終わってます。観客はただただ映像を浴びるのみなのです。



次にくるのがマックス、フュリオサ、ニュークスの組んず解れつのパート、束の間の夕焼け、異形の夜、そして中ボスとして現れるレクイエムに乗った武器将軍。光を失った武器将軍の生への渇望が狂気へと駆り立てる瞬間は映画のひとつのハイライトであります。レクイエム繋がりと失明ってのから『バトル・ロワイアル』(2000)の桐山を思い出しちゃいました。戦慄……!このあと、やられたらやり返すの儀式を終えて、ようやくこの映画は一段落しやがります。



クライマックスへ行く前に印象深かったことを。この映画には<繋がり>にまつわる物語があるように思います。まず、オープニングにあるとおりマックスは鎖に繋がれた男。荒れ果てた世界をどこまで行っても生者と死者の両方に追われている。そんなマックスと血と鎖で繋がるのがニュークス。ニュークスはマックスとはある意味正反対でハンドルが無ければ何も手が届かない男。ボクにはこのマックスの<血>がニュークスに何かを与えたとしか思えない。死を約束された短い生を受け、英雄の仲間入りを果たすためだけに生きてきたニュークスが、人を慈しむこと、自分のためでなく誰かのために“生”を捧げること、そんな風に人生を全うできたのはマックスと血の契りを交わしたからではないか。悪役イモータン・ジョーもまた「子供は俺のモノだ」という繋がりに囚われているし、フュリオサは希望という名の故郷を夢見ている。立て続けに起こる生と死の連打のなかに倒れゆく仲間を想う眼差しや叫びが矢継ぎ早に盛り込まれ、何かの繋がりを断ち切ろうとするドラマ/あっけなく断ち切られる瞬間がヒャッハーな映像で散る火花のように繰り出される。極上の娯楽映画でした。



クライマックス。行きて帰りし物語よろしく、来た道を戻っていく一行。道中で結び繋がった仲間が次々と倒れていく。V8インターセプターまで木っ端微塵になったのは、フュリオサの言っていた「過去の精算」を期せずして血の契りを交わしたマックスが行ったんじゃないだろうか。このシリーズの向かう先が一体どこなのかわからないけれど、<生き残る>本能に苦しむマックスという男にどうか救いのドラマが訪れてほしい。復讐の女神との旅=フューリーロードの幕を下ろしたのは、“生き残る”という闘争心ではなく、レバーを手に取ったウォーププスの子どもたちによる“共に生きる”という繋がりなのだから。


それにつけてもコイツのカッコよさよ!!!
ドゥーフ・ウォーリアー!映画史に残るキャラクターの誕生に立ち会えました!!!
ありがとう!!!!

美しいサッカー『海街diary』

ぶっちゃけ期待値はそれほど高くなくて、是枝監督なぁ、久しぶりに夏帆ちゃんを見に行くかぁくらいのテンションだったんですが、やられました。綾瀬はるか長澤まさみ夏帆、そして広瀬すずの女優カルテット、彼女たちの物語を紡ぎスクリーンに記憶するような映像表現、心地良く入ってくる菅野よう子の音楽(たしか『ハチミツとクローバー』(2006)も良かったよね)、梅酒や浅漬け、しらす丼などによる飯テロ。あらゆる要素にすっかり魅了されてしまいました。以下、良かったところをつらつらと。

海街diary』感想。

▼三女・千佳の魅力


どうしたって四姉妹の魅力を語らずにはいられないんですが、一番印象深いキャラクターだったのは夏帆ちゃん演じる三女・千佳です。長女・幸と次女・佳乃の掛け合いが行われるなか、どこか能天気な千佳。この能天気さを装ってる感がたまらなく魅力的なんです。ご飯をかけ込んだりするのも、きっと幸姉に注意されたいからっていうそんな理由からやり始めたことのような。それが次第に癖になってしまったような。馬鹿になることで居場所を見つけたみたいな。千佳はそういう子だと思いました。


異母妹の四女・すずが現れ、自分よりもすずのほうが父のことをよく知っているとわかる千佳。これね、ちょっとくらい拗ねちゃってもオカシくないシチュエーションと思うんですが、さびしげな笑顔を浮かべながら事実は事実として受け入れたあとに〈釣り〉のことをきくなり本物の笑みがこぼれる。このシーン。このシーンの千佳をこれでもかと意識的に映してくれて、瞬間、彼女の傷が癒えていくさまを見ました。人との触れ合いによって〈思い出が増えていくさま〉がスクリーンに記憶として焼き付けられるマイベストシーンです!


▼とはいえ、すずの物語


「良かったら家に来ない?」
「え……行きますっ!」

ここまでの一幕だけで、映画一本分の見応えがありました。オープニングのセクシー朝もやシーンから父の訃報、葬式という別れの場でのすずとの出会い、四人で見る鎌倉に似た景色。もう、これだけでイイっす。ここまででもうすでに海!街!ダイアリーしてますがな!と思っちゃいました。

「もう助からないお父さんと、ずっと一人で向き合ってきた」

この言葉に救われたすずは四人で暮らすことを選び、学校で走ったり遊んだりの仲間に巡り会います。はじめに、佳乃・千佳を案内したときは、あんなに“ただ歩いていた子”が、幸に山道を先導される頃には“生き生きと歩みを進める”ようになる。扇風機の前でバサッと佳乃のように奔放に振る舞うになるし、顔が隠れるように茶碗を持つ千佳のような愛嬌を振りまくようになる。鎌倉での毎日を過ごす一挙手一投足、ドリブルとシュート、様々な人との触れ合いが、すずの表情・心をつくっていく。この感動。これぞ物語です。広瀬すずちゃん、名前知ってたけどしっかりと見たのはこの映画が初めてでした。学校とお家での演技の切り替わり、とっても良かった。


▼千佳とすずの絆


千佳が、もしスポーツ用品店で働いていなかったら。もし地元サッカー部のサポーターやってなかったら。すずの歩みは変わっていたでしょう。前田くん演じる風太の言う「三人兄弟の末っ子だけど、俺んときは、父さんも母さんも女の子がほしかったみたいでさ」の会話は、きっと三女・千佳にも当てはまります。父と母の弱さと優しさ、幸と佳乃はそれぞれを受け継ぎましたが、二人にはない父と同じものを千佳は持っていました。そんな千佳がすずに道を与える家族の不思議。二人のあいだには巡り巡って結ばれた絆があると思いました。


ジダンマルセイユしてるシーンがあったんで、最後にヨハン・クライフの言葉を借ります。

「美しいゴールは誰にでも決められるが、美しいサッカーはそうではない」

家族の不在をテーマにしながら、赦しという結果を強調せず、そこに至るまでの〈時の美しさ〉を捉えたところに、この映画、この家族の神秘性があると思います。はじめとおわりにある同じセリフ「父は優しい人だった」がまるで違う印象を与えてくれて気持ち良く劇場を後にできました。ハイ。近年の日本映画のなかでまぎれもなく最高の一本。ありがとうございました!

続編ビッグイヤーにまた1本!『ピッチ・パーフェクト』

アナ・ケンドリックが歌って踊るガールズムービーがやってるらしいじゃん〜!程度の興味で飛び付くように見てまいりました。この映画、なんでも2012年の作品だそうで、続編となる『ピッチ・パーフェクト2』が、現在アメリカでヒット中なんだそうな。売れそうな2を公開するから1もやっとこか、そんな感じみたいです。正直、この映画の存在をまったく知らなかったんですが、知ってたら知ってたで「DVDスルー出してくれ!」と不満に思ってたはずなので、見終えた今となっちゃ、まぁイイのかなと。

ピッチ・パーフェクト』感想。

▼みんな良いキャラしてる

劇中で用いられる『ブレックファスト・クラブ』(1985)がそうであるように、この映画も「若者の悩み」をモチーフにしています。上手いっていうか楽しいのは、それをシリアスに扱うことはせずに、コメディタッチ、それも時に下品に時に自虐的にやってくれてるところです。それらは、クラブの伝統を一身に抱え込むプレッシャーから吐き癖のあるオーブリー(アンナ・キャンプ)、太っちょと自ら名乗るエイミー(レベル・ウィルソン)らに顕著で、他にもシンシア(エスター・ディーン)のギャンブル依存とレズビアンにステーシー(アレクシス・ナップ)のセックス依存、何がなんだかわからないリリー(ハナ・マエ・リー)、そして、高音の美声という女性らしさを失ってしまうクロエ(ブリタニー・スノウ)。アカペラクラブ・ベラーズに所属する皆それぞれが何かを抱えており、それら全てが自分の持っているモノをさらけ出す=声を出して歌うということに結実していく展開が、とっても気持ちが良いのです。


▼主人公ベッカ(アナ・ケンドリック)の魅力

そのなかでもボクが一番気に入ったキャラクターは、彼女目的だったんで当然なんですが主人公ベッカ(アナ・ケンドリック)です。彼女にはDJというかアレンジャーみたいな特技があったり、オーディションで披露する「Cups」がちょっと変わったもんだったり、まぁ独りぼっちで過ごしてきたんだろうなって感じがそこかしこで描かれます。「若者の苦悩」のなかでも一番こじらせ度が高いのは「早熟」だと思います。生まれた時代が同じだけれど自分は周りとは違う。そんなつもりはないのにどこか冷めた雰囲気を醸し出してしまう。独りの時間が長いから特定の人じゃなく「全体」を見ている時間が長くて、その感覚がアレンジャーや個性をまとめる能力につながっている。心と身体がアンバランスだから、自分をさらけ出すのは苦手で他人に見られるのなんてもってのほか。ダースベイダーの秘密なんてスグわかっちゃう。「若者の苦悩」は共有したり打ち明けたりすることで好転していくもんですが「早熟」はなかなかそこにたどり着けない。でも、彼女のその独特の距離感もルームメイトのように理解してくれる人は世の中にいる。今まで独りでわかった気になってた世界なんてちっぽけだ。もっと広い世界を見なきゃ!みたいな、そんな風なキャラクターとして描かれてるベッカに夢中でした。


▼「みんなちがって、みんな“いっしょ”に。」

それぞれの個性を活かすアカペラクラブを結成することで、みんな個性があって違うけれど、そんな当たり前を認め合うだけで終わらずに一緒に何かやろうよ!っていう〈グルーヴ〉が生まれて、映画館ってのはいろんな人たちと同じ映画を見る場所ですから、なんかその雰囲気がスクリーンに凄く合うんですよね。この映画のヒットの要因はそこじゃないかと、てか、そうであってほしいなぁと思います。色んな「音階」がいっしょにいられる映画=pitch perfect!

ハイ。続編は女性監督だそうなんで、「女よりも男の友情!」のセリフを吹っ飛ばす、1作目以上に楽しくて力強いガールズムービーを期待します。今年はマッドマックス、アベンジャーズターミネータージュラシックパーク、ミッションインポッシブル、007、そしてスターウォーズと、続編映画のビッグイヤーですが、『ピッチ・パーフェクト2』が今秋公開とのことで、楽しみがまたひとつ増えてしまいましたとさ。この笑顔が早くまた見たい!